tanayuki

海と毒薬のtanayukiのレビュー・感想・評価

海と毒薬(1986年製作の映画)
3.7
オーディブルで遠藤周作の原作を聞いたので映画も見てみた。原作は、太平洋戦争末期に九州帝大医学部で実際に起きた、アメリカ軍捕虜8人に生きたまま解剖実験を施し、全員を死亡させた「九州大学生体解剖事件」を題材にしたフィクション作品。医学部研究生だった勝呂(奥田瑛二)と戸田(渡辺謙)は、生体解剖手術への参加を断れる立場にあったのに断らず、流されるままに(勝呂)、あるいは、罪悪感が欠如した自分の真の姿を確認するためだけに(戸田)、医師として、それ以前に人として、とうてい許されない悪事に手を染めてしまう。

原作のテーマは、死期が迫った大部屋の患者に適切な処置を施さず、医師の指示にしたがって安楽死させようとした看護師に、生体解剖事件の首謀者である橋本教授の妻ヒルダが投げかけた言葉に集約されている。

「なぜ、注射しようとしました」「死なそうとしたのですね。わかってますよ」
「でも……」「どうせ近い内に死ぬ患者だったんです。安楽死させてやった方がどれだけ、人助けか、わかりゃしない」
「死ぬことがきまっていても、殺す権利はだれもありませんよ。神さまがこわくないのですか。あなたは神さまの罰を信じないのですか」

キリスト教の原罪意識のような成文規範をもたない日本人には、集団から排除されることをおそれる気持ちはあっても、罪の意識は希薄なのではないか。作者の問題意識はそこにあったというのだけど、ちょっと待て。残虐性についてはキリスト教徒も人後に落ちないどころか、ホロコーストを生んだのは、まさにそういう精神文化だったんんじゃないの? クリスチャンだからとか、ムスリムだからとか、神を信じないとか、いやむしろ神様はそこらじゅうにいるんだとか、そんなことと、人間が罪を犯すこととのあいだには、それほど相関関係はないのではないか。むしろ、信じている対象がなんであれ、いい人もいれば悪いやつもいるし、同じ人でもいいときもあれば悪いときもあるのが当たり前であって、たまたまその人のことを知ったのが悪いタイミングなら悪いやつに見えるし、いいタイミングならいい人に見えるってだけのことだと思う。

集団における同調圧力によって、人間が軽々と倫理観を乗り越えてしまう例は、わざわざ戦争を持ち出すまでもなく、世界中で見られる普遍的な現象だ。それを現実に起きた、まだ記憶も生々しい事件に勝手に仮託して、自分の考えを補強するための材料として使うというのは、倫理的にどうなの? と思ってしまった。アメリカ人捕虜を生きたまま解剖して死に至らしめたという設定だけは現実のものを借用しつつ、ここで描かれるキャラクターも大学病院内の人事抗争もすべて架空のもので、現実に事件に手を染めた人たちの思いや考えは別にあったはずなのに、原作を読んだ人は、おそらくそうは思わなかっただろう。実際、作者は本編発表後、事件関係者からの抗議にさらされ、続編の執筆を断念したらしい。

だが、そうした思いは、Wikipediaにある「九州大学生体解剖事件」の説明を読むと、とたんに揺らいでくる。殺されたアメリカ人捕虜8名は、九州への空爆後、帰陣途中に紫電改によって撃墜されたB-29、2機の乗組員で、1機目の11名のうち1人はパラシュートが切れ墜落死、2名が武装した地元住民によって殺され、1人は逃げ場を失いその場で自殺(7名が生存)。2機目は豊後水道に墜落し6名が死亡、1人は重症を負い連行後に死亡、残る4名が生き残って捕虜となっている。生存者11 名のうち、1機目の機長のみ情報収集のため東京に送られ、残る10名は「各軍司令部で処理しろ」との命令で、生体解剖に回されなかった2名(と別に捕えられたB-29の乗組員6名)は裁判なしの斬首刑に処されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F%E4%BD%93%E8%A7%A3%E5%89%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6

つまり、どうせ死ぬんだから病院で殺されたって同じだろう、という劇中のセリフは事実だったことになる。さらに、事件関係者の証言として、以下の記述がWikipediaに出ている。

「日本国土を無差別爆撃し無辜の市民を殺害した敵国軍人が殺されるのは当然だと思った。ましてたった一人の倅をレイテ島で失った私にすれば、それが戦争であり自然のなりゆきだと信じていた。」
平光吾一教授(当時の解剖実習室管理者)の手記より

「そのころの日本人は激高心をアメリカに対して持っていた。もちろん医者が人命にかかわる人体実験をしたことは悪いが、そこを間違わせるのが戦争であり、いかに戦争というものが人命を預かる人間でもここまで狂ったというか、そういうことが二度とあってはならないが、戦争時代にあったという事実、軍が良いと言ったからとやったという言い訳はもう今後は二度と出来ない。」
 東野利夫(医学生として解剖に立ち会ったと証言)の談話

それが戦争だ、戦争だからしかたなかったのだ、と言いたくなる気持ちもわからないではないけれど、それを認めてしまえば、倫理や人間の精神性などは粉々に吹き飛んでしまう。ホロコースト・サバイバーの『夜と霧』や『これが人間か』を読めば、極限状況下にあっても、自分が正しいと信じることのために同調圧力や命令に背く人たちもいたことがわかるし、そのときは命令にしたがったとしても、あとから後悔の念に苛まれた人もたくさんいたはずだ。

遠藤周作の原作やこの映画が告発したかったのは、神をもたない日本人の倫理観なのかもしれないが、神が不在だから日本人は平気で倫理にもとる行為に及んだのではないか、という見方はさすがに単純すぎる気がした。

余談だが、研究生仲間役の奥田瑛二と渡辺謙は、実際には10歳も年齢が違う。にもかかわらず、若い渡辺謙のほうが堂に入っている感じがするのは、なぜ???

△2024/05/21 U-NEXT鑑賞。スコア3.7
tanayuki

tanayuki