【算数の教科書と最後の銃声】
戦争を美化せずに、ありのままの断面を伝えること。
ウクライナ戦争やガザ地区での戦闘が毎日のように報じられるようになって、戦争を手段とする人間の愚かさや醜さ、また、戦争を美化して語ろうとする右傾化した連中のバカさ加減に多くの人が気付き始めているように思える昨今だ。
戦後とはいっても、戦争の絶望から逃れることの出来ない人は多くいたのだ。
それは家族を亡くした人も、戦地から帰ってきた人もだ。
(以下ネタバレ)
算数の教科書は、二度とこんな悲劇を繰り返さないという教育の大切さを象徴的に示したもののように思える。
そして、対比される最後の銃声。
女はハンセン病に冒されていたのだろう。
日本で差別的な扱いが最も長く続いた病だ。
実は、これもなかなか変われなかった日本を象徴的に表しているように感じる。
安倍晋三が消え、旧統一教会との闇が明るみに出て、放送法の意図的な解釈を巡る右翼政治家の言論の自由の封殺行為が頓挫し、ジャニー喜多川による性加害が再告発され、宝塚歌劇団のヒエラルキーに基づいた暴力も暴かれた。
戦後長く隠され、そして続いていた闇のようなものに、どこか光が当てられたようにも思える。
日本はやっと変わりつつあるのだろうか。