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Ostkreuz(原題)の映画情報・感想・評価・動画配信
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目次
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『Ostkreuz(原題)』に投稿された感想・評価
KnightsofOdessaの感想・評価
2023/08/14 22:34
4.0
[ドイツ、壁は崩壊したけれど] 80点
傑作。オストクロイツ、東の十字路を意味するこの単語はベルリンにある駅の名前のようで、二つの大きな路線が立体交差する有名な駅で、崩壊した壁もすぐ傍にある。壁が壊れたばかりの1991年当時、その地域一帯は『大理石の男』を思い起こさせるだだっ広いマンション建設予定地があり、既に完成した同じような高さのマンション群も含めて規格化されたディストピアのような雰囲気が漂っている。廃墟と建設予定地に囲まれた旧東ベルリンには、労働者として流れ着いた東欧移民、そこから転じて犯罪者となった者、などなんとかして金を稼ごうとする人々が幾度となく登場する。しかし、本作品は外国人犯罪者の話ではなく、汎ヨーロッパ・ピクニックの犠牲者とも言える東ドイツに"残された"子供たちを追うことで、荒涼とした大地に取り残された"東ドイツ"のポートレイトを描き出そうとしている。『グッバイ、レーニン!』で語られることのなかった壁崩壊直後の闇の歴史は、本作品によって既に提示されていたのだ。
主人公エルフィーの設定も中々興味深い。彼女は母親とともに汎ヨーロッパ・ピクニックによって逃げ出したものの、結局東側の土地に戻ってきたらしく、難民キャンプのようなコンテナハウスで暮らしているのだ。アパートを買うには保証金3000マルクが必要で、職にあぶれた母親はそれを工面できない。それどころか成金のおっさんと付き合い始めて、ベルリンを離れる話すらし始める。エルフィーは学校も行かずに職を探して金を工面しようとする。そこで出会うのがポーランド人のセコい不良ダリウスである。彼はエルフィーを様々な形で振り回し続けるが、彼女もダリウスしか頼る人間が居ないので何度騙されようが彼を頼り続ける。
また、汎ヨーロッパ・ピクニックで両親が去ったまま音信不通という姉弟も登場する。姉はダリウスと恋人だったという描写もあり、バーに入り浸る描写もあって自らの手で生活を切り開く力があることがうっすら分かるのだが、弟はエルフィーよりも年少ながら常に一人でいるような描写がなされる。二人の孤独な少年少女はそれによって惹かれ合う終盤は非常に美しく、時代に取り残されてしまった二人の子供は煙草を吸ってビールを飲むことで大人の真似事をし、マンションの廃墟で生活の真似事をすることでこの時代を生き抜こうとするのだ。
オストクロイツ駅は周りに古い駅舎やその設備、周りにある廃墟に至るまで東ドイツ時代を強く匂わせる情景が人気だったらしいが、2018年まで10年以上に渡る近代化の工事によって当時の面影も少なくなったであろうことは想像に難くない。廃墟好きだから改装される前に行っておきたかった。
#2020ofOdessa
#EEMofOdessa
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たはら戦士の感想・評価
2025/08/08 03:50
5.0
壁を失った都市と、光を見失った少女が交差する場所。
ベルリンの壁崩壊後のドイツ。
ソ連崩壊後のロシア。
いずれの2カ国に漂う、どこか哀愁を帯びたメランコリックな雰囲気の正体について以前から興味があった私は、単なる経済的停滞や制度崩壊では説明しきれない、もっと深層にある感情の層としての喪失や空白、語りえなさと沈黙に惹かれてきた。 それは過去の体制に対するノスタルジーとは違う。むしろ、過去と断絶しながらも未来へと確信を持って向かうことができない、どこにも漂着できずにいる状態。その宙吊りの感覚が、都市の風景や人々の表情、日常の所作にまで染み込んでいるように感じていた。
本作を観たとき、私はその感覚が視覚化されたような印象を受けたのだ。
明示的な物語や結論を排しながらも、本作は壁崩壊後のドイツ社会に生きる者の時間感覚や存在の重みを、繊細に、そして冷酷なまなざしで捉えている。
1991年、ベルリンの壁崩壊から間もない激動の時代に制作された本作は、ある一人の少女の彷徨を通じて、統一ドイツにおける「越境以後」のアイデンティティと存在の問いを鮮烈に描き出している。
静謐な映像詩のなかで、15歳の少女エルフィーは旧東ベルリンの廃墟や駅を漂いながら、失われた生活や職を求めて自らの身分を偽り続ける。
彼女の身体は国家という制度的支柱を失った社会の中で、どこにも定住できず、ただ「通過」し、「演じる」ことを繰り返す。この反復が、本作の根底に潜む映画哲学的な緊張をかたちづくっているものだ。
故に本作は、単なる「ポスト社会主義的風景の記録」にとどまらない。それはむしろ、越境する主体の生成、つまりアイデンティティの流動的な構築という哲学的問題系を、政治的転換点における映像の倫理として掘り下げているのだ。
タイトルに冠された『Ostkreuz(東の交差点)』とは、ベルリンの交通の要衝にある駅の名前なのだとか(一応まだ現存しているらしい)。
しかし、本作においてこのタイトルは、通常の駅のような機能的な地点としてではなく、都市の裂け目や越境の痕跡、壁崩壊後のドイツにおける混乱の象徴として作用している。
エルフィーが歩く街ベルリンは、統一国家の希望に満ちた未来像とは無縁の、空虚でありながらどこか傷ついた荒廃都市であり、その政治的混乱の渦に呑まれた陰鬱な様子はバルタスの『三日間』と重なる。また、壁崩壊前の西ドイツを舞台とした『クリスチーネ・F』を強く思い起こさせた。
いずれの作品も思春期の若者が抱える、苦悩や葛藤、あるいは無秩序な社会に対する反抗的な感情を描き出している点で通底する。
本作のキャメラは終始抑制されており、俯瞰でも感傷でもなく、むしろ一定の距離を保ちながら、荒廃した都市とそのなかで息づく人々の身体を観察し続ける。
子どもたちの荒れ果てた生活、生気のない街、瓦礫の広がる空き地、解体を待つ建物、虚ろな視線で行き交う人々。そこには歴史的転換点の祝祭性は存在せず、キャメラはむしろその裏側に広がる断絶と喪失の現実を鑑賞者に直視するよう促す。
ここで描かれるのは、社会主義体制の終焉とともに制度的なアイデンティティを剥奪された個人の姿であり、これはマルク・オジェ(人類学者)の言う「非-場所」の映画的展開といえる。
“場所とは、アイデンティティを構築し、関係を結び、歴史をそなえるものであると定義できるならば、アイデンティティを構築するとも、関係を結ぶとも、歴史をそなえるとも定義することのできない空間が、非-場所ということになるだろう。”
マルク・オジェ著『非-場所』より引用。
1991年という政治的文脈に照らせば、東西ドイツ統一は形式的には達成されたが、東側市民にとってそれは自由と希望をもたらすと同時に、アイデンティティの崩壊と制度的放逐という現実を突きつけるものであった。
エルフィーの周囲には失業、非正規労働、家庭崩壊といった現実が散在し、それらは「統一」という祝祭的言説の影で深く沈黙しつつも確かに現前している。
壁の崩壊は自由をもたらしたが、同時に自己同一性の足場を失わせた。だからこそ本作では、エルフィーの歩く道筋に明確な目的地がないのだ。
彼女が「何者か」になろうとするたびに、その試みは社会の変容に拒絶され、あるいは宙吊りにされる。
そうした文脈のなかで、エルフィーの「演じる」行為は決して恣意的なものや欺瞞ではなく、それは生き延びるための生成的戦略なのである。
時にはただの15歳の少女に、ある時は労働者に、彼女は絶えず異なる役割を装いながら自己を更新し続ける。その姿は「繰り返しによる主体の生成」そのものであり、主体とはあらかじめ規定された実体ではなく、むしろ社会的規範を内面化し、演じる過程で形づくられるものだという思想を映画的に体現しているように思えた。
そんな孤独な少女エルフィーにとっての制度的支柱の代替を成すのが、ダリウスという一人の少年の存在だ。
エルフィーとダリウスは、社会の周縁に位置する存在同士として出会い、二人を結ぶ関係性は定義を拒む曖昧さに特徴づけられている。彼らは家族でも恋人でもなく、制度的な関係性から外れた場所で、仮の接触を試みる。いわば彼らの出会いは、目的を持った行動の中での邂逅というよりも、都市の裂け目のような場所で偶発的に生じた「すれ違い」のようなものだ。
両者に共通するのは社会から切り離された不安定な立場であり、エルフィーの孤立に対してダリウスが一時的な避難所として機能している。ダリウスもまた、社会の不安定な地位にあり、エルフィーに対して支配的でも従属的でもなく、むしろ並走的な位置を保っている。
二人の間にはまだどこか「壁」があり、そのある種の共依存的な関係性を予感させる側面を持ちながらも、明確な依存関係には至っていない。それはむしろ、制度的・感情的なつながりが定着し得ない時代と状況における、「一時的な親密さ」のあり方を提示しているように思える。
ただし、そこに恒常的な結びつきは成立しない。互いに深く関与することを避けながらも、一定の親密さを維持しようとする姿勢に、制度なき時代の人間関係の脆弱性と限界が垣間見えた。
作中においてエルフィーとダリウスの会話は最小限に抑えられながらも、交互に口にするタバコの煙が、言葉では埋めきれない空白を繋ぎとめるようにして、二人の間に微かな親密さを描き出している。
監督の演出もまたこのような主題に応答するかのように、詩的な長回しや静的な構図、オフスクリーンの音といった手法によって、観客の視線に働きかける。
感情移入を拒むような冷徹な観察の距離感は、見ることそのものの倫理性を問い直し、映画が「誰のために、何を映すのか」という本質的な問題を静かに投げかけている。
本作は、再統一という歴史的出来事を背景にしながらも、単なる政治的寓話や社会的写実に陥ることなく、映像を通じて哲学と喪失を形象化している。
国家、家族、職業といった既存の枠組みが失効した世界において、エルフィーの身体は彷徨を続けざるを得ない。だが、その終わりの見えない漂流こそが、あらゆるアイデンティティが境界を越えて生成されるという新たな倫理を孕んでいるのではないだろうか。
エルフィーという一人の少女の歩みを通して描かれるのは、過去にすがることも、未来を信じることもできない時代の、名付けようのない哀しみと、それでも生き延びようとする微かな意志である。
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Kaitokuの感想・評価
2023/07/25 07:31
4.2
廃墟と開発地の狭間でエルフィーが何を見据えているのか分かるようで分からなかった。
廃墟は目立たないけど最近の渋谷付近の再開発に持つ感情と重なる部分がありそうな印象だったが、全部翻訳しきれなくニュアンス笑
オシャ度はかなり高い
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