ちょび

市子のちょびのネタバレレビュー・内容・結末

市子(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

・解も結末も無い幕切れが残すリアリズムのような余韻が好き。的外れかもしれないけど、300日問題という社会問題を接点として、本作と現実が地続きであることを示唆しているのだとしたら、本作は市子がその強靭な生きる意志によって異能生存体になってしまった特殊な事例に思えてしまって、一般化はできないなあと個人的には思う。それこそが社会問題に対する私の無理解そのものなのかもしれないですね。

・パティシエである市子の元同僚とヨシノリが会う場面の最後、元同僚からの問いかけに返答した後に振り返らずスクーターで走り去るカット、耳をつんざくエンジン音とスクーターを追うカメラの手振れが、その返答に込められた願いや焦りが激情となって沸き起こっているヨシノリの心情を極めて効果的に表していて、心が震えた。

・冒頭の(そしてラストの)、市子が真夏に海に向かって伸びる道を鼻歌交じりで歩くシーン(海まで続かず、途中でT字路になっているのも、意図している気がする)は同級生とネットの女を自殺させた後なわけだけど、汗ばむ首元がアップで映るのは、月子の呼吸器を外した直後の同じ構図の場面と重ねているように思う。家族ともども限界になって月子の息の根を止めた昔に対して、ヨシノリと出会い一時の幸せを嚙み締めた後の今でさえも、その行動原理・心情変わらず一貫しており、生きるために周囲をバッサリ切り捨てられるそれが恐ろしかった。でも何故か綺麗なシーンなんだよな。それでも生きることを肯定する人間讃歌のような。

・市子は一貫して、生きたいという純粋で切実な想いによって行動しており、その最悪な境遇によって倫理観が壊れており、市子は生きるために周囲を不幸にする手段を取らざるを得なかったとも読み取れるけど、そんな生きる意志の静かな強さが市子の魅力のようには思う。あと、パンフレットにも書いてあったけど、そんな境遇でなかったら市子は幸せに生きたのか?という疑問はある。

・同級生と市子の関係は一方的で、同級生は自ら破滅に向かっていた感が強い。市子のことを悪魔と呼んだように、同級生は市子の魔性によって狂わされたという被害者意識を持っているけど、市子のヒーローになるどころか、ゆがんだ愛情を一方的に押し付けており、他方市子から同級生の存在を求めることはほぼ無く(失踪後に市子から連絡を取った時だけ?)、むしろ同級生自身が市子に縋って救いを求めていたように思う。相手の気持ちを推し量れず一方的なコミュニケーションで暴走して思いを募らせ、いずれは翻って裏切られたと被害者意識を肥大させて最悪な結果をもたらすタイプに見えてしまう。彼は自殺志願者の女性と一緒に死ぬ結末を迎えるわけだけど、海で集合してから何があったかをはっきり描かないまでも、推測はできる。とはいえ気になるな~。

・劇伴音楽がミニマムで良かった。極論かもしれないですが、劇半音楽は不要では?とたまに思う。まったくの別作品ですが、「ケイコ、目をすませて」は劇伴が一切なく、それがとても良かった。

・ヨシノリと市子の母の対話のシーン、対話を拒絶する母の心がヨシノリの熱意により徐々に開かれることで、市子の謎が明かされて物語が進展する方向に転がるという、気分は激重だけどカタルシスが得られるシーンなのですが、市子母が言った「もう手遅れ」というセリフ、心に刺さったまま抜けなかったです。母の発言の意図とはズレているとは思いますが、回りまわって核心を突いているような。あの場面で少し希望は見えたけど、結果としてやっぱり手遅れだったというような気がする。

・本来、引き上げられた2つの水死体の片方は市子の保険証を持たせるはずだったけれど、その保険証は市子が失踪するときに鞄と一緒に家に残してしまったから、市子と推定しつつも身元不明の死体となるのかな。となるとヨシノリはその後もひたすら市子を探し続けるんだろうな。
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