ちょび

悪は存在しないのちょびのネタバレレビュー・内容・結末

悪は存在しない(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

1回では全然整理できなかったので2回観てきました。
映像やセリフが全て緻密に設計されていることが分かり、一切のセリフや画面に映るものを見逃すまいと思って観ていると気付く事は色々あるのですが、核心が掴みきれてないような心持ちです。黒沢清監督の「CURE」を観た時の味わいに近い気がします。結末やタイトルの解釈、水が低いところに流れる等々、重要そうな要素の解釈と、それらの繋がりがまだ整理しきれていないです。

かなり飛躍がありそうですが、この映画は巧、花、巧の妻(=花の母)の物語であり、花と、もしかしたら巧も死ぬ結末なのかなと思いました。それとは別に高橋の生死は気になりますが。
(なお、1回目見たときはかなり困惑しており、花ちゃん捜索シーンで家から外を眺める区長の表情が怪しかったので、村のために区長が"便利屋"の巧に高橋の始末したのかと安直に考えましたが、それは無理筋ですね。
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以下、感想というかもはや備忘録です。

■巧の妻の死について
・巧の家に置かれた写真に写る女性は、おそらく巧の妻かつ花の母であり、区長との会話シーンなどから過去に亡くなったであろうことが示唆される。また、その後の描写から、死因は鹿の水場となっている池に入水、又は落水ではないかと思う。
・巧の妻はチェンバロ弾きで、同楽器に使うため鳥の羽を集めていた。
・巧は、じいちゃん(区長)が喜ぶから鳥の羽を持って帰る事を花に説明したが、それを受け取った区長は、自身の娘(=巧の妻)が喜ぶからと受け取った。これは、妻の死の受け入れに対して区長と巧の間でギャップがあり、区長はその現実を受け入れた一方、巧はまだ割り切れていないということか?巧の家で食卓を囲むシーンでの椅子の数を見とけばよかった。余分に空いている席があったかもしれない。
・花は巧の妻(=花の母)が亡くなっていることを知らないようにも見えるが、巧が花にその死を説明していない可能性がある。そのうしろめたさ、またはその死を受け入れられない気持ちから、次項の通り、巧は花と対面で話せないのかもしれない。

■巧と花の関係
・巧と花は親子と思われるが、お互いに顔を向けて会話するシーンが無く、触れ合うシーンもほぼ無かったと思う。二人が会話するのは、森の中で巧が花をおんぶするシーンと、説明会からの帰宅後、花が巧の背中に乗ってチョコを食べさせるシーンのみで、どちらも巧の背中越しの会話であり、かつ後者は特に花に対する反応が薄かった。
・昼間に巧と花が鳥の羽を拾って道を歩いたシーンがあり、その後、花が睡眠中に観た夢として似たシーンが再び流れるが、夢の中では現実と異なり巧と花が手を繋いで歩いている。これは花の願望?
・巧が花の迎えを忘れるのはなぜ?前項の通り、妻のいない現世に執着が薄いということかと思ったけど飛躍しすぎですかね?

■帽子を取る動作
・説明会で巧が発言するシーンと、ラスト付近で花が鹿に近づくシーンでそれぞれ帽子を取る描写がある。
・巧が帽子を取った後の発言は、「俺たちもある意味よそ者だし、自然を破壊してきた。だけどバランスが重要だ。」といった趣旨だった。つまり、帽子を取る動作はバランスを取ることを意味しており、花は半矢の鹿に対して自分が犠牲になることでバランスを取ろうとしたということか?でも何から何と何のバランスを取ったのか、分かりそうで分からない。
・黛が手にケガをして巧の家に留まるシーン、序盤で区長が座っていた席に、緑の帽子をかぶった人形が置いてあったが、これは何を示唆している?直線的に考えるなら、区長は帽子を取っていない=バランスをとっていないということだが。

■結末について
・冒頭の空と木々を真下から映しながら移動するショット、音楽も相まってとても印象的でした。類似ショットはおそらく3回繰り返されており、冒頭は花視点、中盤では花をおんぶする前のシーンなので多分巧視点(でも巧は前を見て歩いているから花視点?)、ラストは巧に抱っこされている花の視点のように思います。
・ラストシーンは、巧の足音の間隔と荒い息遣いから、かなり焦っているように受け取れますが、最後はなぜか足が止まってしまいます。それをどう解釈するか悩ましいですが、花(と巧)の死とも捉えられるかなと思いました。さらに、劇中で鹿の水場が映る度に巧や花が引き込まれそうな不気味さを感じたので、もしかしたら、死んだ花を抱えた巧が妻を追って入水するんじゃないかと(妻が水死したという想定ありきですが...)。
・花の鼻息の有無を確認していたけど、どちらだったんだろうか。もし息をしていなくて助けたければその場で人工呼吸なりを実施するだろうけど、実際には抱っこしてそのまま森に連れて行った。単に息があったのか、息してないけど花の死を避けようとしなかったのか。

■うどん屋とその後の車内の会話
・うどん屋で巧が高橋・黛と向き合って食事をするシーン、巧の顔を真正面から映したショットで「3mの柵で囲われた場所に人が来たがるのか?」という発言だけ、巧の目線が明らかに目の前の2人でなくスクリーン越しの観客に向くように撮っている(まるで小津作品のよう)。その後の会話では右の黛、または左の高橋に視線が移っているので、真正面を見るのは不自然。これは何を表している?
・水を汲んだあとの車内の会話(「グランピング場の人を避けて鹿はどこへ行く」⇒「どこかにいくんじゃないですかね」)この直後、巧の顔に影がさすけど、ここで巧は何を感じたのか?

■その他
・説明会のシーンで芸能事務所の観客の憎しみの矛先が高橋に向くように仕向けておき、東京でのコンサルと社長を交えた会議や車中の会話から事情が分かると、その上流工程にいる社長やコンサルに憎しみの矛先を挿げ替えられて、観客としてまんまと上手く転がされたなと思いつつ、上流の人間には責任があるという話に繋がるのかと感心した。
⇒と思ったら、パンフレットのインタビューによると、当該の説明会シーンはなるべくフラットに見えるように心掛けたとのこと。まじか。
・随所で明確に水平でないシーンがあった。例えば、高橋と黛が手土産を持って巧に会いに行き、巧のチェーンソー作業を眺めるシーンとか。
・チェーンソーと斧での薪割りは安直だけど分断?、うどん屋の描写でも、鍋から湯気が昇った先にうどんを切る用?の大きな刃が不穏に映っている。
・枝越しにカメラを配置しているシーンが多く、不気味さがある。特に、黛が水が入ったポリタンクを運ぶシーンは物凄く不気味だった。
・水が低いところへ移動する下り、一方で湯気(やかんの蒸気、うどんを茹でる鍋の蒸気、牛のフン)が昇っていくのは何かの対比?
・花が牛に餌をやった後にフンの山に鼻をつまむ描写は、同じく花が巧にチョコを食べさせた直後に巧が屁をこいた際の反応とリンクしている。
 人間も動物も同じだとしたら、半屋動物も人間も本質的には同じであることを言っている?そんな安直ではない?
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