このレビューはネタバレを含みます
悪は存在しない、のか?
そもそも無理のある事業でも、一度進めてしまったから、生まれた損失を埋めるために、やめられない。
それは、悪意を持った行為ではないのかもしれないが、それで水が汚され、鹿の通り道がなくなり、自然が破壊されれば、それは悪である。
始まりは悪じゃなくても、流れ流れて下流にいって、積み重なって悪になる。現代の悪はそうやってできていて、だから何が悪を生んだのかを特定するのが難しい。というか、ややこしい。(特定を防ぐためにわざとややこしくているところもある)
前線にたって批評を受ける人より、その後ろで批判を受けない立場から自分の都合をあたかも相手のためにとすり替えて主張する人が、受けるべき責めから逃げる人が、1番悪いと思った。
では、ラストシーンはどうだろう。
善だと思っていた人が、社会的に最も悪とされることをしたとき、私たちはそれを悪だと認めることができるのだろうか。
この人がすることは、善に決まっている。そうやって受容するのではないか?
脈絡の薄い、全くないわけではないが、まさかこの人が、という出来事を前に、私たちはその直前まで持っていた価値観をどう扱うのか?
そうやって見るものを試している気がした。