Thecla

悪は存在しないのTheclaのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
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何も話したくない、何も聞きたくない 上映後のざわめきも何もかもうるさかった

善や悪ではない、あるのはバランスだけなのだとしても、手打ちにするのにそこまでする必要があったんだろうか

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一日経って落ち着いて、いろいろな断片について考えられるようになってきた。以下は雑多な記録。

花は学童に預けられているようだったが学校に行っている様子がなかった。緊急放送から年齢は8才であることがわかる。

巧が花を山で自由にさせていたのは次の調停者、観察者にさせるため。花を山に放しておいて、かつ安全に帰れるということは、巧と山との関係が良好であることを示し、巧は無意識に花を用いてそのバランスを計っている。

ある日花が行方不明になり、その後遺体で発見されたことは、明らかに山との"バランス''の崩壊を示す。その発端となったのは他ならぬプレイモードの出現であり、彼らは山との暮らしを理解しようと努力はするものの、山(の媒介としての鹿)は決壊する未来を感じ取り、最初の警告を発したのだと思う。

「悪は存在しない」というのは、存在するのは悪ではなく無知、そして不寛容。それらが視点や立場の違いによって悪に見えてしまうということ。ラストの巧の行動は、あの場であの視点からの"悪"である存在たる鹿の、観測者を存在させたくなかったから。"悪"を"存在しない"ことにしたかったから。

調停者たる巧にそこまでの権利があるか、倫理的な正論を持ち出す時間も与えずに彼はその行動に出た。彼にとってバランスは絶対的なもので、言うなれば山と人とを完全に同等に見ており、何かを奪ってしまったら何かを差し出すというのは彼の人生に組み込まれた至極当然の道理なのだと思う。

彼を調停者と呼ぶのは、彼のことを山側の存在とも人側の存在とも扱うことができないような気がするから。人間離れしているようでもあり、山を恐れているようでもある。その間を取り持つ機関のような存在なのだと思う。

機関は私情で物事を判断してはならない。絶対の法と共にあり、それはどんな存在によっても書き換えられることはないが、当事者の間で法の扱いを検討することはできる。大きなことから小さなことまで、法に基づいてそれらの往来を監視し調整していくのが彼の命そのものの有様なのだと思う。
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