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悪は存在しないのsatoshiのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.6
 濱口竜介監督の最新作。『ドライブ・マイ・カー』のときに音楽を担当していた石橋英子さんのライブ用サイレント映像から生まれたという特異な経緯を持つ映画。俳優は無名の人を採用しており、主演の大美賀均さんに至っては演技経験ゼロのマジの素人。その内容は、まさしく濱口竜介としか言えない映画で、鑑賞中、心地よく身を委ね、そして最後に突き放されて映画館を出ることができた。

 本作はとにかく映画的なテクニックに満ちている映画で、それらが反復され、最後に驚愕の結末へと結実していく。まず冒頭、いきなり地面から空を映した長回しショットから始まる。そしてそれがゆっくり下りていく。これは中盤の「水は上から下に向かって流れる」という台詞と呼応している。そして、大美賀均演じる巧をはじめとした、街の人の日常を丹念に見せていく。そこではトラッキング・ショット、車視点?のショットが反復される。

 そして中盤、「異物」である高橋と黛が入ってくる。東京の芸能事務所がグランピングの住民説明会をしているのだが、これがまた濱口竜介的で最高だった。ここでは芸能事務所側の一方的な計画が伝えられるだけで、住民は論理的な不満をぶつける。ここで出てくるのが、先述の「水は上から下に向かって流れる」という台詞。ここで都心の企業の利潤追求に地方が食い物にされている、という構造が立ち上がってくる。しかし、舞台は変わって東京の本社で計画会議をしているのだが、ここで説明に来た2人が社長とコンサル(いい感じにぶん殴りたくなる)のいい加減な計画に振り回されていることが分かる。しかもこの2人の車中でのやりとりがまた最高で、ここで一気に感情移入をしてしまい、彼らも「上」に押しつぶされている存在なのだと分かる。

 そして終盤。「外部」の2人が巧に連れられて街を回る。この道中は爆笑ポイントがあったり、冒頭のルーチンをまた別の角度でやっていたり、謎の音楽の使い方があったりで面白いのだが、ラストで驚愕の展開が起こる。解釈は開かれているので、それまでの描写から考えてみようと思う。巧は説明会で「大事なのはバランスだ」と述べている。それは自然と人間のバランスである。外部の高橋と黛は、巧とグランピングの計画について、「鹿は人間を怖がっているのなら建設をしてもいいのでは」と述べる。これは人間中心のエゴ。彼ら、特に高橋は、自身の加害性について気づいた形跡がない。説明会のときもそうだったが、この会話でそれが極まる。どこまでも(悪意なく)自身のエゴを述べる。巧の最後の行動は、そんな高橋に対する一種の制裁だったのだと思う。

 ここまで考えると、ラストで映される冒頭と似ているショットが全く別の意味を持つ。人は他者や自然に対し、悪意なく何かしらの負担を強いている。そしてそれは資本主義的なものが生み出したものだったり、政治的なものだったりする。そうした他者へ負担を強いる上からの構造によって下は苦しむ。「悪意」を持った人間という意味で、悪は存在しない。しかし、明確に「悪」は存在している、という寓話的な映画かもねと思った。
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