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ミッシングのsatoshiのレビュー・感想・評価

ミッシング(2024年製作の映画)
4.4
 𠮷田啓輔監督の前々作『空白』の姉妹作的な映画。ただ、『空白』と比べると、娘は「失踪」しているため、なまじ希望が残っている状況で、それ故に話の五里霧中感が強い印象を受ける。それでも見てしまえるのは、本作の登場人物と起こっている事象のディティールがちゃんと描かれているからだと思う。

 本作と『空白』は様々な点で似ているのだけど、1つは「縋る」映画という点だと思う。『空白』は古田新太が娘の清廉潔白ぶりに縋っていたし、本作では石原さとみは娘が無事であるという希望に縋る。でも、その「縋る」という行為に対するスタンスは違っている。古田新太は己のクズ親っぷりから目を背けたいがためだったと思うのだけど、石原さとみは寧ろ、事件当日の自身の行動を悔いた自罰的思考に基づいていると思う。彼女がネットの書き込みを見るのを止められないのは、自罰的思考故で、あれは一種の自傷行為だと思う。

 本作は出口の見えない地獄のような状況を描いている映画だけど、その状況を作り出す社会的、組織的なメカニズムも描き出している。それを負っているのが中村倫也演じるマスコミ側で、彼はジャーナリストとして仕事をしたいと思っているし、娘を探したいという気持ちは同じだが、局の方針、後輩の出世への嫉妬などから、当事者の意にそぐわないことを平然とやってしまう。そしてそれが事態をさらに悪化させる。

 ただ、𠮷田監督はこれら登場人物を断罪はしない。石原さとみは、劇中で何度か「温度差」という言葉を使う。本作はまさにこの映画だと思う。つまり、劇中の登場人物は、「温度差」はあれど、失踪した女の子を心配している。石原さとみは気が狂いそうなくらい心配し、青木崇高は静かだがきちんと心配している。弟も表には出さないが心配しているし、中村倫也も、端々に出てくる脇役も皆そうだ。本作は確かに露悪的な面は否めない。しかし、こうした、どうしようもない社会や人間たちも、程度の差こそあれ誰かを想っているということを描いてもおり、そこはとても良かったと思う。リップロールで閉じられた構成もお見事でした。
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