このレビューはネタバレを含みます
8/7/2024 mon シネマイクスピアリ スクリーン2 F9 15:10〜
左右黒帯恐らくスタンダードサイズ。包まれセンター。
/うわ!なんだこれ
カンヌっぺ〜
子供が林を見上げ意味深なストリングスが流れる、イニャリトゥと坂本龍一の映画みたいなサスペンス調な幕開けだ……と思わせといて、中盤は社会派映画みたいな観せる構造、して最後の最後で急にサスペンスファンタジーになって肝を冷やされる……
じっとり嫌な気持ちになった、大らかな風景と日常の描写に気を取られて。
/かつて付き人として芸能界に入り、やがてプロデュース側に回った高橋が巧に締め殺される描写は、猟師に殺された鹿ってことでもあるのか
悪は存在すんじゃん、と思っちゃうけどでも、巧のそれは見ようによってはかなり純粋な動機というか。悪意ではないんだよね。
芸能事務所の二人が、無理くりやらされている納得のいかない仕事について溜まったフラストレーションを打ち明ける車内のシーンを入れるのが秀逸。そりゃ社長や事業コンサルは言いたいように言えるわな、現場に出て地域住民の声を聞いてねえんだから……と思わせるやり過ぎなくらいコミックリリーフ化されたリモート会議の場面。悪が存在するとしたら、他者の知らない部分を知ろうともしないまま歩み寄らない行為そのものということか……って納得しようとしてたのだが、そんな甘え話ではなかったか。
/巧役の人すげえな。決して流暢に喋るのではなく、ずっと体言止めで喋ってるのに目が離せなくなる。彼がずっと"町の便利屋"としてやっていけてるのはこう見えて器用で真面目だからなのだろうと端々から感じる……て"便利屋"って実は殺しも請け負ってるからで、だからあんなに絞め方が手慣れてんだよな……て気付いてぞっとした。今まで来た開拓の提案も全部こうして終わってる気がする。区長さんもああして家の窓からぼんやり出来事を見ているはずだ、暮れる陽の中で。イニシェリン島のバンシーだ。
都会人の小せえ人生の歩み方なんて取るに足らないってコト?!地球から見ればたった数秒にも満たない甘い考えでどうこうできると思うなってコト!?教えて偉い人!!
いや、だとしたら口数少ない巧が高橋にタバコを吸うか訊いて一本貰って少し打ち解けた空気感出したのも普通に罠ってことか。"鹿は2m飛ぶから3mの柵がいる。でもそんなところ泊まりたがるかな?" "野生の鹿が臆病で人間に近づかないなら、それも売りにできるんじゃないですか"という自然と共生していない安直な考えが彼ら自身の首を絞めたわけだ。こちらを見つめる鹿の、底の見えない真っ黒であるのに澄んだ瞳のような巧のその、妙に座った瞳を思い出す。
だとしたらどこまでも不条理だ。でも自然って条理が通ってないもんだしな。人間の条理で測れるもんでは決してない。(『NOPE』と一緒やん実質)
したら花の母親/巧の妻は鹿の親子の一翼だと見ていいのか。幕引きでこちらを見つめる鹿の親の腹には一発の銃痕が。後ろには子が着いていた。
でもそんな、地域社会ぐるみで殺しをやってた、なんて単純な話に落ち着いて欲しくないよ、こんなんで落ち着いてるって話じゃないんだろうけど。近年さらに増えた限界集落フィクションを見に来たわけじゃないし。←なんかこう思ってんのも「こんな単純なわけない」と思いたいバイアスかかってて自分で気持ちわり〜〜 どうにかして〜〜 なんか『ドライブ・マイ・カー』ん時もこんな話じゃないかもと思いながら観終わって結局よくわかんないままだったし嫌だな〜
↑って思ってたけど巧の親子が鹿だって理解でき始めてからだと上の考え全然的外れじゃねーかと思ったので撤回します
しかしこの、会話と人物造形と空気感だけでほとんど2時間飽きずに観せられるって凄いことやな。物語がどう決着するのか気になってたもんなずっと。この先に映画的な落とし所があるのかと。