みゆ

あの歌を憶えているのみゆのレビュー・感想・評価

あの歌を憶えている(2023年製作の映画)
4.0
記憶の迷路でふたたび心を結ぶ、静かで深い奇跡。人の記憶は儚い。けれど、その記憶の中に“誰か”が残っていたら、それだけで人は救われるのかもしれない。ミシェル・フランコ監督が静謐なタッチで描く本作は、壊れた時間の中で出会った二人が、もう一度「生きる」ことを見つけていく物語。若年性認知症を患うソール(ピーター・サースガード)と、心に傷を抱えたソーシャルワーカー・シルヴィア(ジェシカ・チャステイン)。一見すると救う側と救われる側のように見える彼らは、やがてそれぞれの過去と向き合いながら、互いの存在が癒しになっていく。印象的なのは、繰り返し流れる曲、プロコル・ハルムの「青い影」。それは失われゆく記憶の中に差し込む一筋の光であり、ふたりを結ぶたったひとつの確かな共鳴。言葉にできない想いがメロディーに乗って、観客の心にもそっと届く。チャステインとサースガードの演技はまさに記憶に残るものだった。特に、ソールがシルヴィアを見つめる視線には、記憶ではなく“今”を大事に生きようとする祈りのような温かさがあった。この作品は、大きな事件やドラマチックな展開があるわけじゃない。けれど、だからこそ感じられる静かな感動がある。それは、目の前の小さな手を取ること。誰かと、ただ一緒にいること。それが、生きる意味そのものなのだと教えてくれた。本作は、忘れられたくない誰か、そして忘れたくない記憶を抱きしめながら、そっと前を向くための一作だと思った。
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