この映画の幕が閉じたそのあとで。辛く大変なことがふたりに訪れることになるだろうかもしれないけれど。でも今はこれでいい。これがいい。これがすごくいい。ふたりの横に居てふたりを見つめるアナ。アナと3人で。わたしは映画館を出たそのあとになってからこみあげてしまって気持ちの昂ぶりを抑えることができないままでいた。わたしはいろいろなことをすぐに忘れてしまうけれど、ずっと心に刻みつけておきたいラストだった
ミシェル・フランコ監督は、過酷な状況で生きる人たちの現実を 時には鋭利な刃をもって観客に突きつけてきたり、時には柔らかな装いでいながらそのじつ驚くべき隠し玉を 想像だにしていなかったところから剛速球で投げてきたりする。という印象がある。今作では、辛い記憶を抱えて苦しむ人や記憶をなくしていくことに苦しんでいる人、そういった人たちに対する深い感情や慈しみのまなざしがあり、これまでとは違う境地を開いたような感がある
辛い記憶に長い間苦しんでいる女性と、記憶を失いつつある男性とが出会う。ジェシカ・チャステインとピーター・サースガードの名演に加え、娘ちゃんであるアナ(ブルック・ティンバー)の心根の良さがこの映画をより一層味わい深いものにしていると思う。そして、辛い記憶の出し方が映画としてみてもとても巧いのだと感じた。だから彼女はあんなにも怒っていたんだ。だから彼女はあんなにもドアのロックを何重にもしているんだ。彼女の言っていることを否定する人物が出てきて映画自体を揺さぶるのも脚本の妙なのだと思う。何重にもロックしているドアにカギを差し込んだままになった場面でわたしは、あの鍵差し込んだままでいいのかなという心配と、ようやく施錠へのこだわりに緩みがでてきてよかったなあという気持ちとが混在しました。あの描写もうまいなぁ
嗚咽している状況であっても、あなたがいれば笑いあうことができる。固く閉ざした心を溶かしていくことができる。それはなんてステキなことなのだろう。これからさらに困難ことが訪れたとしても、今この瞬間の思いがあればきっとだいじょうぶだと思えること
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予告篇を観る機会もないまま、ミシェル・フランコ監督作品ということだけを頼りに映画を観ました。あの曲が「青い影」ということも知らなかった。ファンダンゴという曲だと勝手に思ってました