イージーライター

大いなる不在のイージーライターのレビュー・感想・評価

大いなる不在(2023年製作の映画)
4.0
語りたくなる映画である。

映画の主軸のストーリーは、長く疎遠だった父(藤竜也)の認知症が進み施設に入ることになり、森山未來が演ずる役者を生業にする主人公が、面会、父宅の整理のため、東京から九州の地方都市を訪れる。しかしそこには長らくその父に寄り添ってくれていた筈の妻(原日出子)は、主人公とは血が繋がらないのだが、いなかった。彼女はどこに、老いた父の語ることはどこまで本当なのか。主人公とその妻(真木よう子)が、整理を進めると共に、父と妻との間に何があったかということのベールを剥がしていく、そういうものである。

映画の冒頭に、介護のケアマネージャーと思わしき人が、主人公と真木に、介護の今後の進め方について問うシーンがある。そこで主人公はつっけんどんに、今の時点でそんなことを問われても、自分には分からない、答えようがないと答える。そこでこの父子関係は複雑なものであることを観客は知らされることになる。映画は時間軸を現在、過去、何度もシャッフルさせるのだが、そのケアマネとの面接のシーンのあと、時間は遡って、父とその妻宅を訪れるシーンがある。その妻と主人公は初めての面会であるし、父とも二重何年かぶりに会うというものである。父子間は先の描写からして、よそよそしいものである。息子は、早くこの空間を出たいというのがありありだ。実際、今日はホテルを取っているから暇するという旨が息子から父と妻に告げられる。何度か泊まって行くべきだと抗する父。すると、結局はあっさりそれを受け入れる。私はここで、この監督はうまいなあと思った。先にケアマネにつっけんどんに応対して、いやなイメージを残していた主人公もそれは父子関係で問題があるからの行動であり、主人公の根っこはそれほど悪い人物でないことがこのシーンひとつで明らかになるからである。 

映画はミステリー仕立てなのでこれ以上はスジについては深入りしない。
ただひとつ最後に、冒頭に私は語りたくなる映画と書いたその理由だけは示しておく。それはこの映画が、面白い、面白くない(ミステリー仕立てのところを追うだけでも私は優れたものだと断言するが)というだけでなく、主人公の行動が見る人の議論を呼んで然るべきものだからだ。

主人公夫婦が父宅での整理を通じて知っていく様々な事象を通じて、実は、冒頭にケアマネから主人公に問われた選択を、後に主人公は改めてし直すことになる。再選択したその結果はこの社会においては、社会問題化しているほど大きなものの筈である。しかしその再選択が提示されるシーンは突如であり、そしてそのシーンはあっさり終えられる。社会問題化している問題だから、もっとそのシーンは丁寧に描かれ、主人公がした選択の正当性が説明されてもよかったのかもしれない。ただ話者により正当性が描かれれば描かれるほど、受け手である私たちが語れる余白は少なくなる。何故ならばそれは命に関する選択だからである。生き死についてのことを正当性を重ねて描かれれば、なかなかそれに反することは口に出すことが憚れる。しかし余白をもった描写となされたことで、私たちの口にしたくなる余韻の部分も多くなった。そういうことである。