家族をめぐるすばらしいヒューマンドラマだった。兄と弟それぞれの疾しさをめぐって。
30年前、自分が青春を賭けて、いや賭けるという意識もないままに心血を注いで作り上げた録音が、人生の半ばに差し掛かったころに突然評価される。音楽はライブパフォーマンスが求められる。しかし、リスナーが聴き、また期待するのは、30年前の彼らと彼らの音楽である。そのことが兄弟それぞれの葛藤を炙り出す。
弟のドニーは、一家の財産を切り売りしながら自分にお金を出してくれる父と、長男として家業を継ぎ、生まれた地で暮らしている兄に、疾しさを感じている。彼が実家に長居できないのは、自分のための借金で次々と売却されていく土地と、農場で地道に働き続ける家族に、疾しさを覚えるからである。
一方、兄のジョーは弟とのバンドを楽しみながらも、弟の才能に見合った技術やセンスを持ち合わせていないことに気づかざるを得ず、さらにはプロデューサーから弟をソロデビューさせようというオファーが来ると、自分の存在が才能ある弟にとって障害であることをまざまざと見せつけられる。それに、彼は長男として家を継ぐことを宿命づけられている。一時は、弟とともに実家を出て音楽で食べていく、ということを本気で夢見ていたに違いない。しかし、彼は家族のために家に残る。愛する人もいたが、彼女は亡くなって、彼は結婚していない。その傷は仄めかされるだけだが、彼のなかに暗い陰を落としている
そんな兄弟が、寝耳に水のブレイクによって再びふたりで音楽を奏でることになったとき、そのふたりの葛藤もまたフラッシュバックすることになる。
弟は、自分のために失われた土地と田舎で年老いていく父を、兄は、自分の技術不足で制限される弟の音楽を、目の当たりにせざるを得ないからである。ドリーが実家で家族と夕食をともにできないのも、ジョーが弟に対して曲目やバンド編成について意見できないのも、そのせいだ。
けれども、彼らはそれを乗り越えていかなくてはならぬ。その自分のなかでわだかまっている何ものかは、直接それと向き合うことによってしか乗り越えられないのだ。その機会は唐突に外部からやってきたのだった。
***
ドニーが30年前の自分と並んで座り、自分の作った音楽を聴く場面は美しかった。彼はティーンの自分にひとつ質問をしようとしたが、そのとき父が現れて質問はされずじまいだった。彼は過去の自分に何を問おうとしたのだろうか。
40代の彼は、そこで座って音楽を聴いているとき、彼らの音楽の魅力を醸し出していたのは、兄のドラムであることに気づいた。兄は彼の音楽活動の制限ではなく要だった。ブレイクによって仕方なく兄と音楽を奏でるのではなく、彼こそ兄の刻むリズムが必要なのだ。
そのとき、彼らのあいだにあったわだかまりは消え、ドニーのなかにあった音楽活動への挫折感も解消されることになる。彼はソロではブレイクできなかったが、兄のドラムがなくては、それは当然だったのだ。
こうして紡がれていく物語が家族、そして自分自身の小さなすれ違いや心の傷を超えていく過程を丁寧に描いている。心に残る作品だった