東京ニトロ

ぼくは君たちを憎まないことにしたの東京ニトロのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

最悪を描こうとする映画は多い。だがこの映画のテーマは最悪の「その先」にあるものだ。テロで最愛の妻を失い、幼い息子は母親の名前を呼んで駄々をこね、そして息子が眠りにつく夜になると、今度は途方もないかなしみがやってくる。フェイスブックに載せたテロリスト宛の「手紙」―これこそが作品タイトルの由来でもある―が2万回以上シェアされたことで、少しその苦痛が和らいだかのように見えた矢先、妻の葬儀の準備という現実的な苦しみがふたたびやってくる。耐え難い苦しみとかすかな希望が、まるで波のようにかわるがわるやってくる毎日の描写は、2019年の映画「WAVES」を想起させる。彼の境遇に対する周囲の共感すら、必ずしも彼の助けになるわけではない。「周囲のあたたかい心が彼の苦しみを癒やし…」というありがちなフィクションはここにはない。親切心からまずいスープを作ってくる幼稚園の保護者たちや、「葬儀のことはわたしたちに任せきりなのに、あなただけ達観したふりしてTVに出ている!」という義理の姉からの罵倒や、妻を埋葬する墓地を巡る親類たちの口論は、ほんとうに存在する、耐え難いが圧倒的な現実として描かれつづける。主人公はときに、幼い我が子のことを放置してまでも、そこから逃げ出すように妻の痕跡を探し求める。妻が脱ぎっぱなしにした衣類のにおいや、ヘアブラシに絡まった髪の毛や、そしてバタクラン劇場の前に駐車されたままの妻のシトロエンの中で、スマートフォンのなかに残る妻の声や写真に触れて、そして泣きつづける。

そうした終わりのない現実、最悪の先にもずっと続く日々の営みにある先にあるものはなにか。

シャワー中に、母がいない混乱から癇癪を起こす息子を怒鳴りつけてしまった朝、その息子の姿が見えないことに気がついて家の周りを探し回り、ついに妻の服がしまわれたままのクローゼットで彼を見つけたときの、怯えた息子の表情。そして彼ははじめて、父親として、息子に母親の死について説きはじめる。

これは実話に基づいている。現実は圧倒的でやりきれない。「実は妻は生きていました」という簡単な奇跡は起きない。パリじゅうの病院を回った結果、警察から妻の死についての事務的な電話が入るという"最悪"だけがそこにはある。ただ、日常は波のように無限に繰り返しつつ、そして彼と息子の世界を少しずつ変えていく。

最悪の先にあるもの。
繰り返される日常がもたらすもの。

生前妻と約束したコルシカ島への旅行が、この映画のラストシーンだ。
疲れ果てた息子が眠る間、父親はふたたび涙を流す。だがそこにはもう、悲嘆に暮れたあのシトロエンのなかで聞いた雨音も、スマートフォンに映る妻の写真もない。あたたかい木漏れ日の下、ハンモックに揺られながら、父親はもう亡くなった妻ではなく、海岸で撮ったばかりの息子の写真を両手に抱き、それを見つめて、そして静かに、涙を流すのだ。
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