デニロ

52ヘルツのクジラたちのデニロのレビュー・感想・評価

52ヘルツのクジラたち(2024年製作の映画)
3.0
虐待、ネグレクト、ヤングケアラー、トランスジェンダー、ドメスティックバイオレンスを詰め込んでいて、それぞれテーマとしては重要なものだと思うのですが、いくら何でも詰め込み過ぎじゃありませんか。

病院で母親にお前が死ねばいい、とボコボコにされた後、もうわたしなんていない方がと思ったのかフラフラと路上に歩を進めた杉咲花。彼女を偶然に見止めたらしい志尊淳と小野花梨が引き戻して、何やってんの!探してたんだよ!痣だらけの顔、腕、茫然自失の杉咲花を見やりながら次に何を言うのかと思っていたら、呑みに行こう!ざわざわした居酒屋に入り生ビールを勧める。もはや何をおっしゃっているのか分かりかねます。

志尊淳が、注射を腹部に打つシーンで、何かの難病で余命幾許もないので恋だの愛だのから距離を置いているのかと思ったら、薬袋にトランスジェンダーの表記があって、男に生まれたけれどこころは女だということなのかと、故に杉咲花の思いに応えないのかとそういう風に思ってしまった。が、それが逆であるということをドラマチックに描いたシーンで分かるに至り、唖然としてしまった。

杉咲花と志尊淳が後ろ向きで並ぶシーンがいくつかあるのですが、志尊淳の肩幅、形が男性そのもので、FTMのホルモン注射であんなに劇的な変化が起こるのだろうかと、わたしの思い描いていた設定とは逆だったので、毒づいてみます。

志尊淳が、何故に同族会社の御曹司宮沢氷魚を否定的に捉えたのかがよく分からないんだけど、宮沢氷魚のドメスティックバイオレンスを予感させる何かがあったのだろうか、あるいは、それは宮沢氷魚が言うようにただのしっとだったんだろうか。尤も宮沢氷魚が贔屓にする料亭とかフランス料理店とかの趣味の悪さを知ったら、こいつはダメだと思っても仕方がないけれど。

で、何を思ったか志尊淳が宮沢氷魚の親族、政略婚約者に、宮沢氷魚には囲ってる女/杉咲花がいるよ、という暴露の手紙を送る。志尊淳の行動力の源は恋だとでもいうのでしょうか。宮沢氷魚は、最重要取引先の娘との婚約を破棄され、更にその取引先から取引を停止され、揚げ句、会社の役職をすべて解任される。この辺りもどうかと思うのですが、怒りに塗れた宮沢氷魚の執念は志尊淳の過去を調べ上げ、彼の母親を東京に呼びつけ彼が自分にした所業を説き聞かせます。で、志尊淳をもその場に呼びつけて、母子を対面させると、可憐な少女だった我が娘がなんと長身で逞しい成年男子になっているではありませんか。母親/余貴美子は仰天です。知らなかったんですか、と宮沢氷魚は冷たく笑みを浮かべその場を去ります。

無体な作劇に気が散って深刻なテーマがどこかに消えてしまいます。

最後の最後に倍賞美津子がご隠居様の様にしてお顔を出すのですが、特別なことは何もいたしません。常識的な振る舞いで、一体全体何しに出て来たのか訝るところです。

脚色、監督のこころ根がよく分からない作品です。
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