CHEBUNBUN

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章のCHEBUNBUNのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

【実存の危機に陥る時、人は加虐的/自虐的となる】
動画版▼
https://m.youtube.com/watch?v=PjZsmKE9XdU&t=5s

公開前から話題となっていた『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』の前章をようやく観に行った。予告編を観る限り、ノリが『フリクリ』だなと思っていたのだが、実際に観てみると『魔法少女まどか☆マギカ』に近い「ゆるふわの中に潜む深淵なるダークさ」がメインの作品であった。しかしながら、本作をネタバレなしで語るのは困難である。ということでネタバレありで考察していく。

関東上空を巨大な未確認飛行物体が覆い、それによって世界は変わってしまった。しかし、オトナとコドモとの間に大きな隔たりがあった。オトナは実存の危機を前に、過度に自分を守る、あるいはデモを行う、はたまた厭世的となる。一方でコドモにとっては、思った以上に社会的変化はないように思える。未来が不定であるがゆえのアンニュイな感覚、つまり退廃的なものに身を置くことしかできないのだ。大袈裟にデカいダンスを踊ってみるも大きな変化はない。あったとしても「日常」に取り込まれ、すぐさま退廃的な日々に逆戻りするのである。これが例え、仲良しの子が死んだとしても。

映画はアメリカの同時多発テロや東日本大震災、新型コロナウイルスなど、10年に一度やってくる激変におけるオトナとコドモの空気感の違いをゆるく、そしてシビアに描き出す。それぞれの時代でコドモであった者、そしてオトナであった者はこの空気感のリアルさに惹き込まれるであろう。例えば、かつておもちゃのロボットが友だちの役割を果たしていた者が与える側に立ちたいとロボット会社に就職し、広報を担当する。しかし、ジャーナリストに「ロボットはおもちゃにも兵器にもなる。それを自覚しろ。」と言われ、心の中にしまっていたものが覗かれたかの用に気まずい顔をする場面がある。オトナになると本音と建前を使い分けて暮らすことが求められるが、激変はその境界線に銃口を突きつける。それはつまり実存に関わるものであり、それが危機に陥ることでヒトは加虐的になったり自虐的になる。

本作に登場するコドモは、その転換期にいる状況だ。大学進学を間近に迎える中、「自分はどうありたいか?」と向き合う。それが友達や恋人との関係に亀裂をもたらすのである。そして、これが強調されるエピソードとして宇宙人により「回想」がもたらされる場面だ。

誰しもが思ったことがあるであろう「もしもドラえもんがインテリの家にいたら、世界は良くなったのか?」という問いに答えることとなる。正義感が強い人ほど、ヒトの持つグラデーションが見えなくなっていく。そして悪徳政治家を殺す大義名分が、いつしか隣人を殺す動機につながってしまう。「絶対」といった正義と対峙する時、自分=絶対の方程式が芽生え、矛盾に苦しむ時、それは自殺への道が開かれてしまうのである。

また、本作では宇宙人の使っている言語の作り込みが良い。下手にアフリカや中東の言語っぽさを出すことはしない、かといって適当に話すこともしない。カタカナで表現できないような「音」を並べていく。その「音」と「音」との間に文法が垣間見える。そして、そうした言語を操る者が日本語に触れた時、「っ」が発音できず、「つ」となってしまうところに言語学的解像度の高さがあり好感を抱いた。

一方で、「落下」に対するアクションがつまらないのは難点であった。飛行機の落下シーンにアニメ的、SF映画的ユニークさがないのはもちろん、「中間」のショットがないのが致命的だ。偵察機から、大量の宇宙人が落下する場面。超ロングショットとクローズアップは存在するが、ビルを背にした「高度の低さ」を意識させるショットがなく、映像としてのリズムに乏しかった。それもクライマックスでこれをやってしまうので、少し冷めてしまうものがあった。

とはいえ、ゆるふわな空気感の中で提示される有事によって揺さぶられる実存の問題をダイナミックなストーリーテリングで語ってみせた本作、後章が楽しみである。
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