しの

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章のしののレビュー・感想・評価

1.8
プラスの感想が全く思い浮かばない。人間はみんな凡人で、世界がいつどうなろうと多くの「普通の」人は黙って見ていることしかできないし、「普通じゃないと勘違いしている」人は勝手な正義感で暴走するだけだから、せめて身近な誰かの大切な人になることが唯一の「絶対」だよね! という世界認識、単なる冷笑だと思う。

「きみ」を選択するセカイ系なんて他にもあるが、本作の場合はその選択の責任を誰もとらない……というか選択したことを自覚しているかすら曖昧なのが特徴的だ。前章でやたら勿体ぶって見せたクリフハンガーは後処理的な説明で処理され、世界の行く末すら半ば義務的に描かれる感じ。この放棄っぷりは意図的だろう。つまりそれは、この世に善悪なんてなくて、あるとしてもそれは「意識高い系」か「厨二病」かだけだろうという諦観だ。どうせ世界はなるようにしかならないんだから、セカイ系的な命題なんて気にせず、君の「絶対」を見つけよう。その愛が巡り巡って世界を変えるかもよ! ……聞こえはいいが、自分はそれこそが欺瞞ではと思う。

冒頭、おんたんが「みんな煩い!」と叫ぶシーンは象徴的だが、本作では世界に対し善悪の価値判断をする人を「煩い」ものとして描いている。言うまでもなく、過去の門出が破滅に向かった理由もそういう独善的な価値判断にあったわけだ。だから世界に絶対はなく、唯一あるとすれば身近な誰かの「絶対」になることだと本作は主張する。

しかし、「世界中を敵に回してでも誰かひとりの味方でいようとする」ことは、果たして世界に対する価値判断ではないのだろうか。そんなことはないわけで、ここに自己矛盾がある。世界はなるようにしかならない、なんてことを言いつつ、明らかに彼女の価値判断こそが世界を決定的に変えているのだ。つまり、個人と世界はどう頑張っても切り離せない。いくらアンチテーゼを描こうとしても、そこには世界を必要としてしまうのだから。とはいえ、おんたんは記憶を薄ぼんやりとしか保持していないので、やり直しの世界で彼女の価値判断を行いつつ、この矛盾から巧妙に逃れている。ここがまず都合がいい話だなと思う。

また、当然おんたんの日常に存在するのは門出だけではなく、各々の家族も、その他の友人も、門出とのいかがわしい関係を揶揄う対象だっている。彼女たちの日常はそういう周辺の人々なしには成立し得ない。しかし本作は、そんな彼らを恣意的に前景化したり後景化したりしてしまう。前章で投入したキャラクター達はほぼ深掘りされず、単に「それでも続く日常」を演出する役としてある時は画面を彩り、ある時は無差別に死亡したりする。そんな「なるようにしかならない」日常を、おんたんと門出は互いという「絶対」のお陰で強く生きていく……壮大なマッチポンプではないか。

さらにさらに、本作は都合よくおんたんを価値判断の責任から守る作りにしておいて、その価値判断の良い部分だけを能動的に読み取って世界を救おうとしてくれる大葉という役を配置している。おいおい結局はそういう便利な「いそべやん」を必要としてしまってるじゃん、と言いたくなる。確かに、大葉とのロマンスは、おんたんが門出以外の「絶対」を見つけるという、狂った世界で描かれる等身大の成長譚なのかもしれない。しかし、本作において彼はほとんど前章の復習&説明役だし、おんたんに寄り添うことが運命づけられた便利キャラにしか見えないので、これはおんたんのセカイを拡張しうる「他者」とは違うだろうと思う。

総括すると、現代人が感じている世界への無力感を「むしろ何とかしようと真面目に考える奴なんて意識高い系か厨二病だよ」という冷笑によって肯定しているだけなのに、それを「身近な人を大切にするだけでいいんだよ」という甘言で欺瞞的にコーティングしているのが、何とも自分と相容れない作品だった。

このテーマ部分での歪さは、単純に二部作の映画の後編として見たときのつまらなさにも関係しているように思う。クリフハンガーを馬鹿正直にもう一度引用して説明し始める冗長さや、キャラクターが都合よく出し入れされる身も蓋もなさ、日常と無関係に進行する「クソやばい」事態に冷笑以上の機能がないことによる興味の持てなさなどがまさにそうだろう。

加えてビジュアルに関しても、(これは前章からそうだったが)どうにもアニメーションとしての動きの面白さや、「非日常のなかの日常」を光景として提示するSF的な面白さに最後まで欠けていたと思う。シンエヴァがああいう形でケリを付けた今、モロにエヴァなイメージを縮小再生産する意義も分からない。

もういい加減こういう、「世界には自分の力ではどうにもできない巨大なシステムがあるので、せめて身近な他人を想う気持ちや今ここの暮らしを大事にしよう、それが癒しになるはずだ」というような、世界について真剣に考える余裕のない現代人がめちゃくちゃ「欲しい言葉」が安易にエンタメにされるのを見るのに自分は結構飽き飽きしている。表層的には女の子の「尊い」絆を描いてはいるが、それ含め本質的には冷笑や諦観に閉じている印象で、何というかあらゆる意味で不毛な企画だった。

※感想ラジオ
要は冷笑的なエヴァ?今このセカイ系に意義はあるか?『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』【ネタバレ感想】 https://youtu.be/l23je6Fq09I?si=Pz69Eq6ih4LH7YBa
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