監督は「許されざる者」「ミリオンダラーベイビー」のクリント・イーストウッド。
主演は「X-MEN」シリーズや「マッドマックス怒りのデスロード」のニコラス・ホルト。
[あらすじ]
妊娠中の妻の出産予定日が迫る中、運悪く陪審員に選ばれてしまったケンプ(ニコラス・ホルト)は、殺人事件の法廷で審理が進むにつれ、信じ難い事実に気がつく。
事件の被告人ジェームズ・サイスは、被害者を殺していない。
なぜなら、あの豪雨の夜、被害者を車で撥ねたのは、自分だから…。鹿を撥ねたと思ってそのまま帰ったが、裁判で明らかになった犯行状況からは、自分が撥ねたとしか思えない。
妻と産まれてくる子のため真実を打ち明けるわけにはいかないケンプは、せめて評決を無罪にしようと議論を誘導するが、やがて激しい葛藤を抱えることとなり…。
[情報]
長大なフィルモグラフィを誇る、御年94歳の生きる伝説、クリント・イーストウッド監督の、2024年11月公開の最新長編映画。
配給のワーナーブラザーズは、自社の収益悪化やイーストウッドの前作である「クライマッチョ」の不振から、今作について、小規模な限定公開にとどめ、短期間で配信公開に移行させた。
結果、日本においては劇場公開は見送られ、U-NEXTでの配信オンリー作品となってしまった。
イーストウッド作品すら、劇場未公開となるのか、という嘆きの声が上がり、署名活動すら起こった、という。
クリント・イーストウッドといえば、2度のアカデミー監督賞を取り、現役監督・俳優の中でも最長にして絢爛たるキャリアを誇る。
ヒットした作品も数多い。
特徴はいくつかある、
小細工をしない、シンプルな編集、演出。
役者に過剰な演技をさせない、テンポが良くスピーディーな撮影。
必要以上に予算をかけない題材の選択。
今作のジャンルは法廷サスペンス。
今作が脚本家デビューのジョナサン・エイブラムスは、陪審員の評決の様子を描いた室内劇映画の名作「12人の怒れる男」を参考にした、という。
今作も、陪審員の評決における議論が、ドラマのメインとなる。
タイトルの「陪審員2番」とは、評決の際には個々の陪審員の氏名を伏せる慣習から、陪審員を識別するためにつける番号である。
アメリカの陪審制は、イギリス由来のもので、植民地時代から続く長い歴史がある。
独立当時から、合衆国憲法にてすべての犯罪の公判は陪審裁判によって行われなければならない旨が規定された。
その後も陪審制は憲法、州法において維持されている。
アメリカでは、重大な刑事事件のみならず、民事事件ですら日常的に陪審制で裁かれる、という点で、他国と大きな違いがある。
その趣旨は、司法に市民の常識や価値観を反映させる点、権力の濫用の抑制、民主主義の実現、市民教育などにある、とされる。
陪審制で認定された事実問題について、上訴(不服の申し立て)をすることは認められていない。
集中審理による一発勝負だ。
アメリカにおいて、刑事事件の大部分は司法取引で決着しており、実際に陪審裁判にかかるのは、全体の一割程度、ということだ。
陪審員の評決は、原則12人からなる陪審員のみで行われ、裁判官は議論に参加せず、評議の席に立ち会うことすら認められていない。
事実認定も、法の適用も、一般市民のみが行うのだ。
法の専門家である裁判官が同席して議論をリードする日本の裁判員制度とは、全く異なる制度である。
そこには、司法の場面においても、あくまで市民自身が自らの問題を解決する、という、強烈な民主主義に対する自負が見える。
建国以来、民主主義の旗を掲げてきたアメリカ合衆国の他国に類を見ない特殊性が窺える。
今作では、映画開始早々に、陪審員に選ばれた主人公が、事件の真犯人は自分であると気づくところからスタートする。
「刑事コロンボ」や「古畑任三郎」といった、倒叙形式のミステリーと似た趣がある。
そこに陪審の評議のディベートを組み合わせたところに、今作のシナリオの新規性があるように思える。
興収数十万ドル、予算は不明。実質配信限定作品である。
批評家から絶賛されており、海外の評価サイトを見ると、一般層の評価も高いように見える。
[見どころ]
イーストウッドが率直に演出する、正義と葛藤のドラマ!!
主人公、検察官、弁護人、裁判官、陪審員ら、各役者の素晴らしい演技!!
家族のために自分の犯行を知られるわけにはいかないが、無実の男を一生刑務所に送るわけにもいかない、という、究極の板挟み!!
主人公が、陪審団が、いかなる評決を下すのか、先が気になる脚本!!
無駄がなく、退屈する場面がなく、配信ながら最後まで一気見できる!!!
[感想]
傑作!!
94歳の作ったものとは思えない!!
今作はいわゆる倒叙型のサスペンスであり、殺人の真犯人が主人公であることは、作品の冒頭で示される。
作品を引っ張るのは、2つのサスペンスである。
①主人公の犯行は、明らかになってしまうのか?
②被告人は、本当には被害者を殺していないにもかかわらず、有罪で刑務所に一生入ることになるのか?
サスペンスを駆動させるため、下準備は入念だ。
主人公は、出産間近の妻がおり、どうやら彼女を支えられるのは、主人公だけ、のようだ。
主人公は善良な市民だが、過去に飲酒運転の前科がある。
今回も事故の前に酒場に寄っていることから、真相が判明すれば、長期間の実刑は避けられない。
つまり、絶対に真相を明かされるわけにはいかない。
かといって、自分の身代わりに、殺していない男が刑務所に放り込まれていいのか?
そこに良心の痛みがないわけがない。
さあ、どうなる?
主人公は、どうすればいい?
観客は、主人公同様に迷いつつドラマを追うことになる。
そこには、自分の人生を台無しにしても、真実や正義を追求すべきか?という普遍的な問いがある。
人間の弱さ、移ろいやすい善悪の彼岸、人が人を裁くことの限界がある。
俳優の演技はいずれも素晴らしいものだ。
イーストウッド監督の流儀は、過剰な演技、演出はせず、観客に想像させる余地を残すこと。
主人公のニコラス・ホルトも、検察官役のトニ・コレットも、元刑事で陪審員に選ばれるJKシモンズも、抑制された演技を魅せる。
特にホルトの葛藤と混乱を内心に秘めつつ、議論をリードする演技は、迫真だ。
結末には、議論が分かれるだろう。
胸をすく爽快な結末、にはなり得ない。
どうしたところでモヤモヤが残る。
商業作品としては、よりリアリティを欠くが、観客の満足をかなえることもできたかもしれない。
個人的には、素晴らしいラスト、と感じた。
ホルトの表情、そこに何を見出すか。
あなたはどう考える?という問いがそこにある。
こんな傑作が、配信オンリーとは。
イーストウッド監督は、いつまで作品を作ってくれるかわからない。
必見である。
[テーマ考]
今作は、陪審裁判を舞台に、正義の実現の困難さを描いた作品である。
先入観、偏見、バイアス、周囲の期待に応えたいという心の動き。
人間は、常に間違える。
何より、自分の失敗を認めて、正しくあろうとすることのなんと難しいことか。
正義とは何か?
真実の追求?
それとも、絶対多数の幸福?
それすら、定かではないのだ。
そもそも陪審裁判は、市民の常識への信頼が、ベースとなっている。
その時点で、「真実」よりも、それぞれの正義を持ち寄り、わからないなりに結論を出すことが求められているようにも思える。
作中の弁護人のセリフは象徴的だ。
完璧な制度ではないが、ないよりマシなもの。
今作が陪審制を批判するものでないことは、明らかなように思う。
今作のテーマは、終盤の主人公とある人物との会話に結実する。
それぞれの立場。それぞれの正義。
絶対的な唯一無二の正義など、あり得ない。
正義が、一人一人の心に宿るものなら、ラストシーンの意味は鮮明になる。
あなたは、何を感じる?
あなたなら、どうする?
あなたの、正義は?
分断と陰謀論の時代にこの問いを発する意味はあるか?
もちろんある。
常に考えることが大事なのだ。
この時代だからこそ、というよりも、より普遍的な問いを発する作品、と見える。
[まとめ]
94歳にしていまだ現役の、クリント・イーストウッド監督が、巧みなストーリーテリングで語り上げる法廷サスペンスの傑作。
ヘレデタリー継承のトニ・コレット。
セッションのJKシモンズ。
24のキーファー・サザーランド。
実力派俳優たちの競演も頼もしい。