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陪審員2番のohassyのレビュー・感想・評価

陪審員2番(2024年製作の映画)
4.5
とあるアメリカ郊外に住む善良な市民・ジャスティンは、陪審員候補の召集を受け裁判所に出廷。殺人事件の陪審員に選ばれる。初産で流産を経験し、2度目の妊娠・出産を控える妻をなるべくひとりにしたくないジャスティンは、裁判が長引かないように願うばかりだが、裁判が始まり弁論を聴いているうちにみるみる血の気が引いていく。
一体彼に何が起こったのか?

法廷モノといえば検察側と弁護側の丁々発止の末に、思わぬどんでん返しが巻き起こるサスペンスが定番だが、本作はサスペンスではあるもののその性質は真逆と言っていい。
いわゆる倒叙法を取っているので、ジャスティンに起こったことをここに記すことはネタバレではないかもしれないし本作の面白さを阻害する行為でもないと思うけれど、もし今後視聴する機会があるならその驚きを是非とも体感いただきたい。
僕は声が出ました。

さらにすごいのは、その冒頭の衝撃が、その後2時間ずっと観る側の心を締め付け続けることになるドラマツルギーとしての有能さだ。
本当に、ずっと嫌な感情に支配され、心をかき乱され続けることになった。映画を観ていてこんな感情に支配され続けることもそうはない。

ジャスティンの苦悩と葛藤を演じ続けるニコラス・ホルトの潤んだ瞳と、検事を演じるトニ・コレットはどちらも本当に素晴らしかった。
トニ・コレットは「ヘレディタリー/継承」の印象が強すぎて色物みたいなイメージを持ってしまっていたのだけれど、自分の出世のために裁判を利用する傲慢さと正義感で揺れる心の機微を本当に繊細に表現していたと思う。
そして脚本のジョナサン・エイブラムスはなんと長編映画デビュー作、末恐ろしい才能だ。ずっとイーストウッドと仕事がしたかったらしいが、仕事がしたいからといってすぐできる相手でもないだろうに。

御歳94のクリント・イーストウッドはこれまで多くの「裁判モノ」を手掛けてきた。それは法廷劇というだけでなく、「誰かが誰かを裁く」というテーマをほぼライフワークとして描き続け、「人が人を裁く是非」「死刑制度の是非」を問い続ける。
いまだに西部劇やダーティハリーのイメージが強く粗野でマッチョな印象があるかもしれないけれど、監督としての視線はとても静かで温かくスマート。
現存する(という表現はいろんな方面に失礼だと思うけれど)映画監督では世界一の大監督であろう。

そんな大監督の、最後の作品とも言われる新作が映画館にかからないというのは、本当にびっくりするし異常事態だとも思ったけれど、映画館にかけるためのいろんな条件(宣伝量など中身には何も関係ないこと)をクリアしないとならないらしいのと、ノーランなんかと違ってそんなこと気にもしないイーストウッドの度量の広さが感じられるという点では、今この時代にしか体験できない事柄なのだなとも思ったりする。もちろん映画館でも観たいけれど。

日本ではU-NEXTでしか観られないけれど、1ヶ月2000円くらいなので、本作ともう一つくらい何かを観れば十分元を取れる傑作だと思います。
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