川田章吾

アメリカン・フィクションの川田章吾のレビュー・感想・評価

アメリカン・フィクション(2023年製作の映画)
4.8
アカデミー賞受賞作品として、特集されていたので見てみました。感想はFUCK!
それはこの映画の作り手に対してではない。
この映画を私たちが今見るべきものとして、評価させてしまう社会の構造に対してである。


主人公のモンクは売れない小説家。
なぜ、売れないのかというと、モンクの小説は「黒人らしくない」から。

「黒人らしい」小説って何?

奴隷の子孫で、貧しくて、マリファナ中毒で、ラップをする…つまり、マジョリティである白人の願望を投影した幻想である。
もちろん、そうした幻想は一部分は真実ではあるが、全てではない。
黒人にだって、金持ちもいれば、トランプ支持者だっている。クラシックの好きな人もいれば運動音痴もいる。

しかし、白人たちは自分たちの歴史的な罪の意識を浄化するために、憐れみを持って黒人を表舞台には出すが、その黒人の姿は過度に自分たちの願望を投影した、白人よりも弱々しい異質な姿で…


こうした問題提起は哲学的には、サイードがオリエンタリズムで主張していて、西洋が描く東洋は本当の東洋のあり方ではなく、西洋人の色眼鏡を使ってみる東洋であることを明らかにしている。
また、ジョーダン・ピールはこうした白人インテリ層の偽善を『ゲット・アウト』で指摘しているし、ゲイの黒人の生き方をありありと描いたバリー・ジェンキンスの『ムーンライト』、台湾の映画監督アン・リーの描いた『ブローク・バック・マウンテン』も参考にしたい。


その一方で、今だにアメリカ映画界を見ると、黒人はかわいそう的な語りで消費される映画が多く、これに警鐘を鳴らした作品が今作『アメリカン・フィクション』なのだ。

この作品のさらに魅力的なところは、黒人自身もそうした白人の文脈に乗せられてしまっている側面もあるということを描き出していること。

あれ程までに白人に媚びる文学を否定していたモンク自身も、アルツハイマーの母の施設に入る資金を捻出するために、『FUCK』を描かざるを得ず、モンクのプロデューサーは金儲けのために『FUCK』を売り込み、モンクの恋人ですら、『FUCK』を愛読する。

アンディ・ウォーホールは資本主義こそ民主主義のあり方そのものであるとして商品化を肯定していたが、それは資本を独占している側にいるマジョリティに自分がいるから描けることだ。

終盤、「黒人らしい」とされる『FUCK』を白人の審査員が黒人の審査員の意見を無視して多数決で選ぶところは秀逸で、シュールにアメリカ社会の問題点を明らかにする最高のシーンだ。


そうした問題点に正面から向き合い、答えを出さず、それにもがこうとするモンクの姿こそが、モンクの描きたかった人間のリアリティそのものなのかもしれない。
最後にハリウッド映画のスタジオを映しながら着地するところも、皮肉が効いてて小気味よかった。


とても、含蓄のある素晴らしい映画でした!
※コメディとはいえ、このテーマでゲイの描き方をギャグ風に描いている(商品化している)点は納得できない。なので、スコアは少しマイナス。
川田章吾

川田章吾