Arata

アメリカン・フィクションのArataのレビュー・感想・評価

アメリカン・フィクション(2023年製作の映画)
4.0
3月上旬に鑑賞。

ラストに向けて、どこまでが今作にとっての現実で、どこからが虚構なのかが不明瞭で、そこがとても面白かった。


【あらすじ】
割愛。

【感想など】
読みやすさの観点から敬称略。悪しからず。

・モンク
主人公の名前が「セロニアス・エリソン」で、有名なジャズピアニスト「セロニアス・モンク」とかけて、彼のニックネームがモンクとされている。

・枯葉
エンドロールの直前で流れる「枯葉」と言うジャズのスタンダード曲は、キャノンボール・アダレイ名義のバージョン。
実情はマイルス・デイビスの作品とも言える。
アルバムの一曲目に収録されているのがこの枯葉で、いきなりマイルス・デイビスのトランペットから始まり、その後ようやくと言ったタイミングでリーダーとしてクレジットされているキャノンボール・アダレイのアルト・サックスのソロを聴く事が出来る。
キャノンボール・アダレイと言う名前でリリースされたマイルス・デイビスのアルバムと言っても過言では無いと言うこの仕組みは、スタッグ・R・リーと言う名前でリリースされたセロニアス・エリソンの本と言う、今作の仕掛けにも少し似ている様にも感じた。

・ペンネーム
スタッグ・R・リーは、スタッガー・リーを文字った名前。
そのスタッガー・リーとは、数々の楽曲などにも登場し、冷酷な描写が多く、自分自身の目的達成の為に手段を選ばず、その生き様が作曲者や聴衆に琴線に触れるが故に、ダークヒーロー、もしくはアンチヒーロー的な存在となった実在した黒人の犯罪者。
殺人を厭わず、アウトロー的な自らの哲学を持ち合わせると言う事が、聴衆が求める黒人像であると考えたモンクが、それを体現した人物であるスタッガー・リーを思い浮かべたのだろう。
ブルースやロックなどの楽曲に馴染みのある人なら、何百通りもの創作がされているスタッガー・リーと言う曲を、誰かしらの演奏で一度は耳にしているはず。
歌詞の内容も理解しているであろう英語圏の人々は、ペンネームの「スタッグ・R・リー」と言う名前を目にしただけで、上述した内容が浮かび、作者名を見ただけで「きっと黒人のクライム小説なのでは無いか」と推測出来るのだろうと思われる。

江戸川乱歩とエドガー・アラン・ポーの様な感じだろうか。



【お酒】
マティーニ、ジョニーウォーカー

・マティーニ
仕事でしくじり、社会に憤り、煽るようにバーでマティーニを飲む。

名作「アパートの鍵貸します」では、マティーニのガーニッシュであるオリーブを刺しているカクテルピンを、カウンターにずらっと並べる事で、彼が飲んだ杯数を表現し、そして如何に酔っ払っているかを演出していたが、今作では空いたグラスが一つカウンターに置いたままにしてあり、そのグラスが増えていく事で、これから何杯も飲んで、如何様に酔っ払っていくのかを楽しませてもらえるのかなと思いきや、彼がオリーブを口に運ぶ様子が既に酔っ払いの様に感じると同時に、そのグラスの大きさに驚かされ、そして次の瞬間には翌朝の二日酔い状態が映し出されるテンポの良さが面白かった。

卓上、彼の目の前に置かれた空のカクテルグラスも、彼が飲んだ物なのだとしたら、彼は特大サイズの2杯目のマティーニを、グラスの霜がまだ残っている内と言う速さで飲み干したところで、おそらくウェイターを呼び、3杯目を注文。その仕草の途中で、翌朝のバスタブのシーンに切り替わり、その中で頭を抱えている様子は、二日酔い状態にある様に感じた。
この表現では、彼が果たして何杯飲んだのかは不明だが、オリーブの口への運び方、お代わりを注文する際の指の動きから、既に酔いがまわっているのは明らかに思える演技なので、次の3杯目が最後の一杯かも知れないが、敢えて何杯飲んだのかを見せない事で、観ている人それぞれの想像する杯数を彼が煽り、そして泥酔したのでは無いかと想像させると言う仕掛けは、とても面白かった。

カクテルグラスのサイズは、一般的には日本の物より海外の物の方が大きい場合が多い。
日本では100ml以下のサイズ、海外では150mlあたりが相場だろうが、ここではおそらく、その海外仕様のものより遥かに大きい。
パッと見では、300ml位は入るのでは無いかと思えた。
仮に300ml、マティーニの度数を平均的な度数とされる35度だとすれば、一杯当たりのアルコール摂取量は80g以上で、3杯ならば250g程となる。これは実にマティーニのベースのお酒であるジンを、丸々一本飲んだのと同量。
ウイスキーやウォッカなども同様に丸々一本、ビール中瓶なら1ダース、ワインなら3本半、日本酒なら一升瓶以上、ストロング缶ロングなら7本くらいと同等。
仮に、この量を飲めば、体重90キロ前後のジェフリー・ライトさんの体内の血中アルコール濃度は0.4%以上となる可能性があり、0.4と聞くと、たいした事無さそうに思えるかも知れないが、実は大変な量で、なんと酔いの状態としては「昏睡期」に該当する。

ただし、それはあくまでもあのどデカいサイズのグラスが300mlだったとし、そこへなみなみと注いだと仮定した場合。
2杯目を飲み干した際に残っているグラスの霜は、半分くらいの位置まで。
段階的に飲んだ為、時間の経過で上部の霜が消えたのか、元々半分までしか注がれていなかったカクテルを、一気に飲んだのかは不明だが、流石に血中アルコール濃度0.4%はやり過ぎと判断し、グラスの半分の量と仮定する事にする。
半分であれば、摂取量も半分になるし、血中アルコール濃度も、0.2%前後の「酩酊期」となり、このあたりが落とし所かも知れないと考察してみる。

ちなみに、ジェフリー・ライトさんの体格で、海外で一般的な150mlでマティーニを一杯だけ飲むと、体内血中アルコール濃度は0.07となり、実に調子の良い「ほろ酔い期」となる。
日本で一般的な容量で計算すれば2杯、もしくは3杯と同量。
一般的には、この一杯が体内から抜けるまでは7-8時間を要するとされるので、実はこの量で十分なのだと言える。
もちろん個人差はあるし、水を飲むなどの条件によっては計算が変わってくる。
お酒は、適量を嗜みたいものである。


・ジョニーウォーカー
上質な本と売れる本を、ジョニーウォーカーに例えて説明している。
ジョニーウォーカーは、ここに登場する赤、黒、青以外にも、緑、金、白金などがあり、他に類を見ない四角いボトル、斜め24度に貼られたラベルなどが特徴的で、遠くからでもひと目でジョニー・ウォーカーだと判別出来る程デザイン性にも優れた、世界で最も売れているスコッチ・ウイスキー。

作中のセリフでは単位がドルだったが、分かりやすく円で言うと、赤は千円台、黒は2千円台、青は実に2万円ほどと、価格に大きな差がある。
これは、熟成年数や構成原酒などの違いによるもの。
編集長は「青は上質だが高くて沢山は売れない。結局は酔えば同じだから、赤が売れる。」と言う様な内容を話し、それに準えて「売れたもん勝ちだ」と言う発想の助言をし、「青の様な上質な文章では無いが、赤の様に売れる本を世に出せ」と言って励まし、その「売れ筋商品」である赤で乾杯をする。
この一連の会話と、その時の2人の間に流れる空気感などから、思わず声を出して笑った。

少し付け加えるとすれば、「青は、高いから売れないのでは無い。青は沢山作ることが出来ないから、多くは売られていないのであって、貴重なものだから高いのである。」と言う事。
また、青を作ることが出来る技術がありながら赤を作っていると言うことは、大は小を兼ねると同様の意味合いを持つとも言える。
赤も、安いだけで不味いのであれば、売れる事はない。安くて美味いから、売れているのである。
そして、青に比べて短期間で作れるから、量産も可能。

彼が短期間で執筆した「FUCK」は、赤の様に再び書き上げる事は容易だが、彼の目指す青の様な上質な作品は、そう簡単には書く事は出来ない。
そして、青の様に上質な作品を書く事が出来る彼が、赤の様に売れる作品を書いたからこそ、彼にとっては不本意ながらも、空前のヒットとなったのであろう。

色々と考えさせられる。



【総括】
自分の信念や理念、芸術的に優れているものと、大衆が求めているものとは必ずしも一致はしない。

この様な、自身の物差しによる理想の追求が、需要と大きくかけ離れてしまうと言う事は、多くの方が経験した事なのでは無いかと思えるので、心情の理解と言う観点からは、万人受けするのでは無いかと感じた。

苦悩する場面、滑稽に葛藤する場面があり、そして最後に何層にも織り成す仕掛けが楽しい、そんなアカデミー賞の脚色賞も納得と言う面白さがある作品。
Arata

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