いやー、ホント、久々にゲロヤバな映画だったなぁ。いやでも、色々ぐるっと回った上で、面白かった。面白かったんだけど、しかし、「どっからツッコんだらいいんだ」って感じの映画でもあった。
冒頭から、ぶっ飛んでいた。アップで映し出されるのは、サニタリーボックス。開けると当然、血のついたナプキンが出てくる。もちろん本物じゃないだろうけど、そもそも男として生きてきてサニタリーボックスなんか開けたことないから知らん。で、誰だか分からない手が、そのナプキンを掴んで、そのまま匂いを嗅ぐのだ。ポケットに入れたりしている。
そんなことをしているのは、学ランを着た人物。あとで分かるが、天野という名前である。天野は一体何をしているのか。彼はクラスに好きな女子(早坂さん)がいて、「早坂さんが血の付いたナプキンを愛でている」から、同じことがしてみたかった、そうだ。
その脇にはもう1人、学ランを着た人物。吉行という名前である。彼は天野連れて来られて、見張りをさせられている。当然、天野の行動を「気持ち悪い」と思っているのだが、吉行は不登校の生徒だそうで、学校内のヒエラルキーでいえば僅かに天野の方が上、みたいな感じなんだと思う。ちなみに、設定は「中学2年生」である。
さて、そんなぶっ飛んだシーンから始まるのだが、さらにおかしなポイントがある。天野も吉行も、演じているのは女性なのだ。女優が学ランを着て男を演じている。しかし、それに関しては特になんの説明もない。本作にはあともう1人男子生徒(島倉)が出てくるのだが、彼を演じているのも女優だ。つまり、生徒役は全員女性が演じていることになる。
冒頭のシーンでは、「自分たちは男である」と観客に念押しするためだろう、吉行が「ここは女子便で、俺たち男子だぞ」と天野に忠告するというテイで、観客に向けて「これは男装とかではなく、自分たちは男である」とアピールするようなセリフがある。
さて、その後もイカれたシーンは続く、途中で島倉が登場し、「ペットショップへ行こう」という話になる。脈絡はない。天野も吉行も、島倉とはほぼ関わったことがないようで、その勢いに押されてとりあえずペットショップに行く。
そこで天野と吉行は、狭いケージに入れられた子犬を見て、「軽く虐待だよね」「自分の人生がこんなだったら絶望だなぁ」みたいなユルい会話をしているのだが、そこに島倉が割り込んできて、「子犬を救い出そう!」と言って盗み出してしまうのだ。
まあそれはいいのだが、その子犬はぬいぐるみである。いや、映画の中では「生きた子犬」として扱われているのだが、撮影上はぬいぐるみの子犬を使っているのである。
意味が分からない。そして本作は、そんな意味の分からないシーンが最初から最後までずっと続くのである。
さて、僕は普段、「受け付けない映画」を観るとてきめんに眠くなってしまう。それまで睡魔など感じていなかったにも拘らず、一気に眠くなって耐えられなくなってしまうのだ。しかも今日は、映画を観る前の時点で1万5000歩ぐらい歩いていて(普段から7000歩ぐらい歩いてはいるのだが、今日はいつにも増してよく歩いた1日だった)、結構疲れ切ったまま映画館にたどり着いた。だから余計寝てしまってもおかしくなかったと思う。
のだけど、全然眠くならなかったし、最後までなんだか妙に惹きつけられた。自分でも理解できない感覚なのだが。
さて、僕は本作を観て「面白い」と感じたのだけど、その「面白さ」は一体何なのだろうと自分の中で少し分析してみると、結局のところ、「この作品を世に出そうと考えて作り、実際に世に出してしまう人間がいるのだ」という事実に対して「面白さ」を感じていたように思う。つまり映画から勝手に「メタ的なメッセージ」を捉え、そこに惹きつけられていたんじゃないかと思うのだ。
「それは『映画の面白さ』と言えるのか?」みたいに感じる人もいるかもしれないが、いや、面白ければ何でもいいと僕は思う。とにかく観ながらずっと、「こんな映像を作ろうと思って実際に作って、しかも公開しちゃった人、やべぇな」と思い続けていた。
何せ本作は映画である。小説なら、基本的には1人で生み出すものなので、「個人の狂気」がどれだけ滲み出ていようが、「これを出版しようと考えた編集者、やべぇな」みたいに思うだけで、「作家に対する驚き」にはそこまで結びつかないかもしれない。しかし、映画は1人では作れない。多くの人に協力してもらって生み出さなければならないわけで、その中で、ここまで監督の狂気を前面に押し出せることに驚かされたのだと思う。制作に関わった人たちは、何をどんな風に感じていたのか気になるし、たぶんホントに、「監督の人間的魅力」みたいなものがなければちょっと生み出せなかった映画なんじゃないかという気がした。
あと、映画を観ながら感じていたことは、「この映画を面白いと感じる人と喋りてぇ」ということだ。正直なところ、本作は人に勧めるのは抵抗がある。万人に受け入れられないのは当たり前として、多数派側じゃない人にもかなり好みが分かれる作品だと思う。概ね、「勧めた側の頭がおかしいと思われて終わり」だろう。ただ、僕のように「面白い」と感じる人もまたいるはずで、もちろんじゃあそういう人と話が合うのかというとそれは分からないわけだが、でも「ごく一般的な人よりは話が合う可能性が高いぞ」とは思えるし、僕は普段「誰かと観た映画について話したい」とかあまり思わないのだけど、本作は少しそんな風に感じさせられた。
ちなみに僕が本作を観ようと思った理由は、まずたまたま最近ポレポレ東中野に行く機会が多かったことがある。多かったと言っても2回だが、『狂熱のふたり』『シアトリカル』を観に行ったのだ。そしてその度に、本作『地獄のSE』のポスターを目にすることになった。なかなかインパクトのあるポスタービジュアルで、ずっと気になってはいたのだけど、ただ、優先して観るほどの理由が特になく、そのまま放置していた。
その後、齋藤飛鳥のインタビュー目当てで買った『Quick Japan』を読んでいたら、その中で、本当に100字程度の短い文章だが、誰だか知らない人が、本作の監督川上さわを絶賛していたのだ。なるほど、誰だか知らない人だけど、こんなに推している人がいるのか、と思って少し興味がプラスされた。
そしてその後、「『地獄のSE』は12/27で上映が終了する」みたいなのを何かで見かけ、「そうか、だったら観に行かないとか」となって、今日ようやく観たというわけだ。
ちなみに、全然知らずに行ったのだけど、今日は上映後に、監督の川上さわと、吉行を演じたわたしのような天気(これも変な話だが、役者の名前が「わたしのような天気」なのだ)が登壇し、「メイキングで撮った映像を編集したので良かったら観て下さい」と言った。で、再び劇場が暗くなり、メイキング映像を観ながら、監督と役者が当時の思い出をユルく喋り倒す、みたいな感じだった。その会話の中でも色々面白い話しは出てきたのだけど、天野を演じた綴由良について、「カメラが回っていない時でも天野だった」「綴ちゃんは入り込み型なんだよね」みたいなことを言っていたのが印象的だった。
そう本作は全体的に、「天野モモ」というキャラクターの存在感で成立している感じがある。なかなか絶妙な雰囲気を醸し出していて、吉行も島倉も正直なところ「男口調で喋る女の子」という印象は拭えなかったのだけど、天野の方は「男でも女でもない」みたいな結構不思議な雰囲気があって、そのかなり謎の存在感が、わけの分からない作品をギリギリ自立させていた、みたいな印象がある。本作はたぶん、「綴由良を見つけ出し、引っ張り出してきた」みたいな部分が、1つ大きな要素として存在するような気がする。
ただ、セリフの面白さという意味では、早坂さんの方に軍配が上がる。彼女はとにかく狂気に絡め取られている感じで、「誰もいない教室で地球儀をひたすら回し続ける」みたいな映像が、僕の体感では1分半から2分ぐらいは続いていたりした。そしてそれに続く展開で、早坂さんと仲が良い(んだかどうなんだかよく分からないが)育美とのやり取りが面白かった。
育美が早坂さんに、「やになったりせんの?みんなに聞かれるとか?」と言うと、少し間を空けて早坂さんが「今ん所は」と返す。そしてそれに対して育美が「じゃあギリだね」と言うのである。正直、何が「ギリ」なのか全然分かりゃしないのだけど、「この2人の間では成立してるんだなぁ」みたいな感じがとても面白かった。
さらに早坂さんのセリフで言えば、吉行に「早坂さんはなんでこんなことしてるん?」と聞かれた際に、「今はそれが自然だから」と返していたのが印象的だった。この返答、良いよなぁ。結構普遍的に使えそうな、何かのきっかけでネットでバズったりしたら若い人たちの間で一定期間使われる言葉になりそうな、なんかそんな印象があった。
しかし未だに「SE」の意味が分からない。「システムエンジニア」「サウンドエフェクト」の略ではなさそうだし、また「SE」がイニシャルになるような登場人物もいない。「エスイー」ではなく「セ」なのかとも思ったけど、だとしても別に意味が分かるわけではない。ま、別に理解したいというわけでもないんだけど。
観たことはないんだけど、「アングラ演劇」を観ているような感じがして、「なんか凄いものを観ているぞ自分」みたいな感覚になった。僕は普段、小説でも映画でも「ストーリー」にしか興味がないし、それも「リアリティ」とか「整合性」みたいなものが気になってしまうタイプなのだけど、本作はそれらすべてが存在しないし、普段の僕ならたぶん「面白い」と感じないような気がする。まあ、「監督と波長が合った」みたいなことしか言えないなぁ。いや、別にそれさえも勘違いかもしれないけど。
上映後に監督が、「パンフレット的なものを売ってるから良かったら」と、まあよく聞く宣伝をしていた。普段僕は映画を観てもパンフレットとかまず買わないのだけど、「これは久々に買うべきだろうか?」と少し悩んだ。結局買わなかったのだけど、今も「いやー、買っておくべきだったか」みたいに思ったりする。結局僕は、本作を通じて「監督の頭の中」に興味が湧いたわけで、そういう意味ではやはり買っておくべきだった気もする。でもなぁ、パンフレットとかを買った上で感想を書くと、ズルしてる気分になるんだよなぁ。
1つだけ文句を言いたいことがあって、映画の冒頭、白い文字の長文がしばらくスクロールされるのだけど、背景の映像に白い部分が多くて、正直、白い文字を認識するのに結構苦労した。僕は文字を読むのは早い方だと思うのだけど、それでも、背景の白と被って白い文字が上手く認識出来なかったせいで、半分ぐらい文章を追えなかった気がする。まあ、その文章を読んだところで、物語が意味不明であることに変わりはないのだけど、「電車でおじさんが狂ってたから、代わりに自分が狂わないといけないかもしれないと思った」みたいな書き出しから始まる結構面白そうな物語だったので、シンプルに知りたいなと思う。もうちょい、視認性を上げてほしいぜ。
まあそんな感じ。とにかく、やべぇ映画だった。