くまちゃん

リンダはチキンがたべたい!のくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

3.6

このレビューはネタバレを含みます

「リンダはチキンがたべたい!」
このタイトルは今作における全てを表しそれ以上でも以下でもない。リンダはチキンが食べたいのだ。なぜなら今は亡き父の唯一の記憶だから。
リンダが1歳の時、父はパプリカチキンを作ってくれた。しかしそのディナー中に急逝してしまう。リンダは執拗に母の指輪に拘った。指輪を貸して欲しいとねだった。後に友人のアネットからベレー帽を借りているため、一見人の物を欲しがる性格にも見えるが、指輪が欲しかったのは父が母へ送ったものであることを認識していたからだろう。指輪、パプリカチキン、リンダが欲しかったのは父との思い出だ。父親が不在だから寂しさがあるわけではない。ただ父の記憶がないことに虚しさは感じていた。ストライキで店頭にシャッターが下ろされる中、リンダは父との思い出を会得することができるのだろうか。

アニメーションの録音は本来絵の後に音を合わせるアテレコが主流であるが、今作では音に絵を合わせるプレスコが用いられている。その録音もスタジオに留まらず場面に合わせたロケーションで行われ、ほぼ実写の撮影と同じものだったそうだ。この演出がカオスな即興性と写実的な躍動感を盛り上げているのだろう。

一人一人に当てられた単色は子供にもわかりやすく、絵本がそのまま動いているかのようだ。柔らかく淡いタッチが監督夫婦の独自性を高め、落書きに近い絵柄にこれほどの命と立体感を与えた手腕は称賛に値する。

ただ、ポレットが巻き起こした騒動の数々は法に触れるものが多く、それを笑いにしていいのかどうかは難しい所である。例えば犯罪者を大多数が追いかけるキーストン・コップスのようなスラップスティックコメディならば一種の芸として理解できる。しかし今作では罪を犯したポレットを周囲が安易に補助しポレットを逮捕しリンダの夢の弊害になる事こそが罪であるかのように描かれている。
つまり正義と正論が悪なのだ。
さらにこれほど周囲を巻き込んでいながら当事者たちにはなんのペナルティも課せられていない。正しいことのために動こうとした人達は理由もわからずただただ大団円の環の中に取り込まれる。リンダの想いが達せられ団地のみんなでパプリカチキンを食すこのラスト。これは倫理も道徳も崩壊した不条理。我儘な人間が得をするというある種の真理と言えるだろう。
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