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雪豹のdojiのネタバレレビュー・内容・結末

雪豹(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

街に降りてきてしまった熊たちを報じるニュースが増えてきたいま観ることに意義があるような映画だと思う。山地で暮らす人々と雪豹たちの関係性は、神秘的な捉え方ができるようでいて、あくまで生存原理に基づいたバランスで成り立っている。人間はそこにストーリーや情のようなものを抱くけれど、雪豹が羊を殺すことには理屈のようなものはない。そこになにか感情のようなものをあるように思えたとしても、あくまでそれは一時のものなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。

雪豹に救われた僧侶と、羊を殺されて激昂する羊飼い、それらを撮影する公営テレビの職員、そして警察や役所の人間たち。それぞれの日常の一コマでしかないのだけれど、そこに自然と人間の関係のあらゆる側面が反映されていて、解釈をあえてさせないようなドライさと、圧倒的な雪豹の美しさを丁寧に捉えるロマティックな感覚、そのどちらを平等に描いているように感じた。

一昨日より実家の猫が危篤になり、会うのはきっと最後だろうと思いながら、一晩だけ実家に帰った。家に着くころ、彼は断続的なけいれんに苦しんでいた。やせてしまった身体を持ち上げて、夜の3時まで膝の上でゆっくりと身体をさすった。徐々にけいれんは治ったけれど、呼吸が少しずつ浅くなっているのを手のひらで感じた。仕事があるので仕方なく東京に戻ってきて、昼過ぎに母から「まだ息をしてるよ」とLINEをもらった。もう食事はできず、栄養を与えるための注射も2日前にやめていたので、そう長くはないことはわかっていた。映画のラストで、雪豹がゆっくり登場人物たちの身体にひたいをすり寄せるシーンがあるけれど、先に書いたように、過度にそこにドラマを描こうとした意図はないように思う。けれどもぼくはそこに雪豹の感情やこころのようなものを感じる。きっとそれは観客によって感じ方が異なるのだろうとは思う。自然や動物との向き合い方なんて、ここで描かれる登場人物たちのように、決して一様ではないのだから。

少し涙ぐんで劇場をあとにすると、母から彼が息を引き取ったLINEが届いていた。看取ることができなかったという気持ちと、ぼくが帰るまで生きていてくれたという気持ちの両方がいま胸の中にある。そのどちらでもなくて、どちらでもあるというのが、ぼくたち人間と動物たちの関係でしかないのだと思う。ぼくは彼をこころから愛せてよかったと思う。
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