ミシンそば

型破りな教室のミシンそばのネタバレレビュー・内容・結末

型破りな教室(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

“環境”が全てとは言いたくはないが、重要な要素ではある。

セルヒオの型破りな授業は、抑圧することしか能のない教師や腐敗しきった行政のそれと違い、子どもたちに積極性と意欲を持たせるものだから、子供にこそ観て欲しい一方で、前述した“環境”の重要性を嫌でも分からせる展開からは逃げていないから、PG-12も正直納得ではある。

舞台は、ギャング抗争が頻発していて昼間から銃声が普通に鳴り響き、死体も裏路地に転がっている。
子どもが普通に犯罪に巻き込まれる、あまりにも治安が終わってる、アメリカ国境のマタモロス。
市の助成金が一向に届かず、生徒もやる気がない、教師はここを流刑地みたいな場所だと思ってる。
そんな場所の小学校に、テストで全てが決まる四角四面な教育を下らないと切り捨てる型破りな教師セルヒオが赴任してくるところがスタート地点だ。

最初は生徒がほとんどセルヒオの質問にも答えず、消極的で挙手もほとんど誰もしないところは、結構リアル。
だが、飽く迄「勉強」ではなく「知ること」を楽しいと気付かせることに重きを置いたセルヒオの授業で生徒が変わる様もまた、それによって映えるものとなっている。
セルヒオの唯一の理解者で、ぼやきつつも他の教師らと違って生徒のためにセルヒオの無茶な頼みも割りと聞いてくれるデブの校長も話に張りを持たせるのに一助していた。

だが、この映画は最初に言ったように“環境”と言う現実も突き付けてくる。
折角探求する楽しさ、学校に通う楽しさを知りつつあった生徒が、家庭の事情で休学を余儀なくされたり、ギャングと関わりがあったばかりに命を落としたり、“環境”は関係ないなんて綺麗事に過ぎないと、嫌でも思い知らされる。
極貧ながら才能が飛び抜けていたために「スタート地点に立つことが出来た」パロマもいたが、学業を続けることが出来なかった子達もパロマに並べたかどうか、そこはわからない。
結構いや~な表現になるけど、途中で抜けざるを得なかった子達がいるから、パロマは一際強い輝きを放つのではないかとすら邪推出来てしまう。

これが実話ベースなのだから、やっぱりやりきれなくもなるが、それでも、なかなか無理して観に行って良かったと思える作品だった。