Frengers

勝手にしやがれのFrengersのネタバレレビュー・内容・結末

勝手にしやがれ(1960年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

 映像は物語の為にある、という観点からすると対極にあるかもしれない。映像における連合、符号が全てを語ってしまう映画なのではないだろうか。

 ジャン=ポール・ベルモント演じるミシェルと女が別々のカットで目配せしながら、自動車泥棒を共謀する冒頭のシーンから、男と女の性差、警察という、誰にも与しない罰の執行人の存在を確認できる。ここから前半は「男」の映像。次の車のシーンでも助手席や後部座席に構えられたカメラでとらえられ、女の家に金を盗みに行くシーンでも、画面の中心の大半はミシェルが占める。
 しかし、ジーン・セバーグ演じるパトリシア・フランキーニとミシェルが初めて会うシーンでは、少し前の金を借りに行く場面の支配人同様、肩を並べてほぼシンメトリーの位置で映り、対等な関係性が浮かび上がる。この時点で一方的に利用してきた女性とは別格の存在であることがわかる。
 パトリシアの部屋のシーンでも、ミシェルに懐柔されることは無く、同じ構図を繰り返し重ねる車のシーンも後頭部が映るだけ。映像における比重も徐々にパトリシア中心に移り、通報し男を罰するのも彼女。
 「男」と「女」をここまで克明に刻んだ映画はなかなか見当たらないんじゃないだろうか。
Frengers

Frengers