がぶりえる

ありふれた教室のがぶりえるのレビュー・感想・評価

ありふれた教室(2023年製作の映画)
4.6
今年ベストかも

教師って偉大だなぁと思う。大変だよ、こんな仕事。何かと難しい年頃の生徒に対して学習指導と生活指導するだけでも大変なのに、保護者のクレームの相手したり、ベテラン先生や校長の言う事聞いたりもしないといけないのしんどすぎる。「それでもこれは全て生徒のため」って言い聞かせて、必死に全部こなしても生徒はなかなか言うこと聞いてくれないし、むしろ事態は悪化の一途を辿るのホントいたたまれなさすぎる。子どもと関わるのって本当に難しいよなぁって思うし、そんな子供を30人近く面倒見てる教師を心の底から尊敬する。

主人公の新任女性教師は、凄く頭が切れるし機転が利く強い女性で、何より生徒に親身になって向き合う姿勢に好感が持てる。いつも、感情論で動かず、俯瞰から問題を捉えて1番生徒が傷つかない方法を必死に探しているところが凄い。作中、彼女は周囲の人々から「問題の起点」みたいに扱われてしまっていて、彼女自身も自分の行動に負い目を感じているけど、彼女はやるべきことを正しくやっただけだと思う。 

本当に問題にすべきなのは、事件をひたすらに隠そうとし、真実を伝えない学校側の対応と、それを受けて事件の誤った情報を流す第三者側の人間の対応。この映画最大の焦点はそこにあると思う。

まず学校側に見られる問題点は、「不寛容主義」を名乗り、徹底して生徒に問い詰めて真実を暴き出そうとする間違った詮索方法。閉鎖的な空間で極秘に聞き出すことで、生徒を守っているように見えて、実は互いに疑念を深め合っているだけのように見える。互いに腹の底に秘めてる言い分を打ち明けることはしないから溝が深まるばかり。そうすることで次に起こる災難は、それを見た第三者が好き勝手憶測をでっち上げるということ。「こういうやり取りだったんではないか?」「アイツがマークされてるっぽいからアイツが悪いんじゃないか?」と好き勝手にでっち上げて、広めて、皆が不幸になる。結局、騒ぎを大きくしないために真実を隠し続ける学校側の対応に不信感を募らせた者が、何処かで耐えきれなくなって荒れ始める。でも、「何で真実を伝えないんだよ!」とも言えない状況だから難しいところ。学校側の言い分も十分に理解できる。不確定な事実を生徒たちに伝えるわけにはいかないし、もしものことがあったら取り返しのつかないことになりかねない。それは重々承知だから難しい。
我々が気を付けるべきことといえば、第三者が問題を勝手に想像で膨らまして、その不確かな認識を他人に安易に広めない事だろう。事件の当事者たちの間で交わされるやり取りは、具体性を帯びた事に踏み込みづらい場合がある。故に議論は急所を交わしながら慎重に進められていて、非常に見えにくく抽象性を帯びている。それを憶測だけで語るような事をすればさらにややこしくなる事は明白だし、何より慎重に議論しようとしていた当事者の努力が無になる。

「相手の言わんとしていることを想像して不信感を強める」のは人間の本能なのかもしれない。人間の防衛本能ゆえの自然な反応なのかも。あるいは、敵を作って攻撃意識を特定の人物に向け、皆で攻撃することで安心したい生き物なのかも。だから、皆いち早く情報を入手して、早とちりして情報の真偽を確かめないまま拡散して、皆で共有しようとするのかも。

僕はそこに凄い納得できたし、何で今の社会がこんなにも生きづらいのかがこの映画に当てはめると理解できた。というのも、この映画に象徴される全ては日々社会で起こっていることとぴったり重なる。芸能ニュースや政界での不祥事はじめ、我々第三者視点の歪んだ潜在意識を痛烈に刺激してくる。「真実」に向き合おうとする人間より先に、脚色と虚構に踊らされた当事者たちの外側の人間が被害を倍増させる構図は、情報社会に生きる我々にとっては馴染深い光景だし、いい加減ウンザリしてる。だから、多くの人にこの作品を観て色々感じ取って欲しい。それ以外にも、多数決の不条理さ、つまりは民主主義の欠陥や正義のまかり通らない組織の面倒臭さに付いて触れているから、その点についても考え深い悩ましい課題が多い。

「第三者が作り出す憶測による事の拡大」について疑問を呈した作品は過去にもたくさんあったけど、ここまで説得力のあるものはなかなかないと思うし、「何でこんな社会になったのか?」という過程を辿っていくところが秀逸。学校という狭い空間で起こっていることが社会という開かれた空間で起こっている事と重なるようにして描くアイディアも流石。この映画で大事なのは「犯人が誰か?」ではないからあそこで切るのも納得できたし、ラストのオスカーを担ぎ上げるシーンの、社会に対して嫌気が差してヤケになってる感じも良い突き抜け方で面白かった。

「ありふれた教室」というタイトルにある通り、この映画は「社会にありふれてること」についての映画。それの舞台が今回はたまたま、とある中学校の教室というだけで、これは我々にも当てはまる物語。