2024.8.27 55-75
子どもが大勢移動するシーンをみて『トリュフォーの思春期』が好きだったの思い出した。ショットのもっているパワーが、画面に映る人々の持っているパワーが子どもだと存分に発揮される。大人で発揮していたのは、ドラマーの人くらい。
「左手」というキーワードによって「身体の動き」への見方がコントロールされていく。あるいは「身体の動き」自体がコントロールされる。なるほど。これは子どもはコントロールされ得ない身体の動きの力を存分に、あるいは四方八方に発散していて、大人はガチガチであり、遅い。