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四十挺の拳銃のT0Tのレビュー・感想・評価

四十挺の拳銃(1957年製作の映画)
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2024.9.25 60-85

367カットほど(細かい切り返しが多く数え漏れがすごいあると思う)。1つのシーンに対してたくさんのショットを撮っているが、切り返しを多用し、同じショットを多用とする。

冒頭、草原の広いショットから始まり、雲の影が動く。そこから雲を映すショット、馬に乗った人物の顔が映り込む。向かいから馬に乗った大群がやってくる。勢いよく駆ける馬の足のクローズアップとそれを呆然と眺める顔のショットの切り返しが続く。

街に入ると目まぐるしいショットの切り返しは落ち着き、街とそこに住む人たちの様子をじっくりと映す。しかし暴力は背後から、突然やってくる。銃撃戦が始まるとまた目まぐるしいショットの切り返しが始まる。この映画の最後で決闘することになる悪党と主人公が対峙する。主人公の強さは、切り返しのなかで次第に目へとクローズアップしていくことで表現される。主人公は、その強さで持って人を殺すことは無い。なぜなら、それは許されないことであり、この許しがたいという感情が恨みへと変わり次の暴力へと連鎖するからだ。

とにかく暴力は、突然やってくる。なぜなら、暴力は人々のなかで波及する怨恨を伴って連鎖するからである。この暴力の連鎖は、許すことで持ってしか断ち切ることはできない。ただ、許すことは、簡単にはできない。

主人公は、それを知ってか、基本人とは並行になってコミュニケーションを取る。向き合うことは、滅多にない。常に、その関係から立ち去れるような位置にいる。泊まっている場所から店(記憶が曖昧)まで右から左へと歩く長いワンショットのシーンは、主人公は奥(画面左)に位置しているため、画面外へと消えたりまた映ったりと何かこの3人の関係においても常に外に出ようとする態度をとっているように見える。
その意味で、保安官に襲われ、女主人がその男に解雇を伝える一連のシーンはおもしろい。彼は、即座に画面外にいく。しかし男は立ち去らない。画面外で待っている。彼は保安官が画面外へと消えると、もう一度画面内へと戻ってくる。そこでその女主人を初めて能動的に抱く。一方で保安官は、画面外で首を吊る。
彼は人を殺すとき、初動を見せない。静かに、そして確実に殺す。これが彼にとっての女主人との決裂であったのだが、女主人は、今度は反対に街を離れる彼を追う。彼は画面奥、平面で見れば画面中央に居続ける(遠ざかるにつれ消えていく)。彼女は彼に追いつき、共に馬車に乗る。初めてここで暴力の連鎖が断ち切られることになる。カタルシスが生まれるのはまさにここである。
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