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撤退のLCのレビュー・感想・評価

撤退(2007年製作の映画)
3.7
興味深かった。

痛い場面も怖い場面もないので、そういう意味では見やすい作品。
ただ、原題にもなっている「 Disengagement ( Israel's Disengagement Plan 「イスラエルによるガザ地区等撤退計画」のこと)」に関する知識が必要で、その点に関してはハードルの高さがあるかもしれない。
そういうわけで、なるべく簡単に、ざっくり流れをメモするが、それでもやっぱり長くなるかも。

・始まりのお話。
紀元前4400年頃には既に文化の発生が認められたとされる土地がある。その土地は、カナンと呼ばれる。
そこでは、青銅器時代に都市が形成され、繁栄する。そこに住んでいた者を、カナン人と呼んだりするが、今はアラブ人と記すことにする。
そのアラブ人の土地に、ある時、ヘブライ人が移住してきた。今のユダヤ人(イスラエル人)の祖先である。
しかし彼らは、そこからエジプトへ移住。エジプトでは奴隷として扱われた為、再びカナンへ戻ってきたのだが、紀元前11世紀頃、そこにイスラエル王国が成立する。つまり、アラブ人の土地はユダヤ人に征服されたのである。

・パレスチナと呼ばれる場所。
紀元前930年頃、イスラエル王国は南北に分裂する。原因は異なる宗派による内乱である。
北をイスラエル王国と呼び、南をユダ王国と呼ぶ。ユダ王国の隣にパレスチナという名前の土地がある。
南北の王国はどちらも滅ぼされ、パレスチナもアレクサンダー大王(ギリシャ人)に征服されたりシリア王国(アラブの共和国)に支配されたりするが、そのうちにユダヤ人の王朝(ハスモン朝)が成立。
紀元前1世紀、このハスモン朝がローマ帝国の保護国となる。
西暦66年から独立を目指した戦争が何度か起こるけれど、いずれもローマに鎮圧される。

・時間をぐいっと進めて、1800年代のお話。
この頃になると、ユダヤ人は贖罪の為に聖地へ帰還しようとか、ユダヤ人の民主主義国家を作ろうとかって考えが支持を集める。
そして1882年、ユダヤ人がパレスチナ(当時はオスマン帝国支配下)に移住する。
そこで、(アラブ人側からしたら、後からカナンに来たユダヤ人のおかげでこれまでも散々土地を荒らされ、虐げられてきた訳だが)、ユダヤ人が差別を許さないと声を一層上げ始める。上記の考え方(ユダヤ人は聖地=パレスチナに帰る、そこにユダヤ人の為の国を作る、というもの)に「シオニズム」という名前が付いたのはこの頃。
1897年に世界シオニスト会議を開いたり、世界シオニスト機構を作ったりして、兎に角たくさんのユダヤ人がパレスチナに移住することに成功する。
他の土地ではなく、パレスチナでなければならないと、彼らは強固に拘った。

・イギリスの三枚舌外交、内容とその後
1914年にWW1が勃発。
イギリスは戦争を有利に進める為に三枚舌外交を行ったことが有名である。
ユダヤ人にバルフォア宣言(シオニズム支持表明、パレスチナにユダヤ人が住むの、いいと思うぜ、という内容)を。
同時に、アラブ人とはフサイン=マクマホン協定(オスマン帝国の支配下にあるアラブ地域、つまりパレスチナの独立)を。
この2つの内容、矛盾してない?と問題になる。
1918年、オスマン帝国が降伏した為、それまで帝国支配下にあったところ(パレスチナ)はイギリスに占領統治されることになる。
このイギリスの統治下で、既に政治的な立場も獲得していたユダヤ人がパレスチナの運営を任されたりする。色々な宣言や政策でユダヤ人の優先をあからさまに進めた為、アラブ人が反発を強める。
このユダヤ人とアラブ人の間に挟まれて、イギリスはアラブ人を鎮圧したり、ユダヤ人の移住を制限しようとしたりして、双方から信頼を失くしていく。
ユダヤ人とアラブ人の衝突は激化していくが、イギリスの言うことを聞いてくれる者はいなくなり、そんな状況でWW2を経た1948年、とうとうイギリスはパレスチナの統治を諦める。

・本作品「撤退」への流れまでもう少し。
イギリスが間に立たなくなったことで、衝突は更に激化。
ユダヤ人が強引に「イスラエル独立宣言」を行うと、アラブ諸国はパレスチナ人支援の為に軍隊を動員。パレスチナでも戦争が勃発した。
この戦争が終結した際、戦場から避難した者(パレスチナに住んでいた人)が残した財産をイスラエル側が没収したりしている。
その後も何度も戦争が起き、国際連合は幾度も「こうしたらどちらも平和に暮らせるかな?」と提案を行うものの、良い案が出せない(どちらか、或いはどちらも納得がいかない)状態が続く。
そして、和平の為に動く者を「その案は納得いかないんだってば」と暗殺する動きも目立つようになっていく。
本作で描かれている「撤退」は、このような流れの先にある2005年、イスラエルがガザ地区全域からユダヤ人入植地を撤退した物語を背景としている。
ちなみに撤退理由は、パレスチナの他の場所で営まれる入植地(ユダヤ人の為の家を建てる場所)にまずはお金をかけてしっかりさせよう、というもので、2006年にはしっかりガザに再侵攻する。つまり、この「 Israel's Disengagement Plan 」は、かなり戦略的な撤退計画(ガザという狭い場所にパレスチナ人を誘き出し集めるもの)だった。
現在、ガザ地区が攻撃されているのは、このような流れで1ヶ所に集めたパレスチナ人の全滅作戦を遂行している為。
追い詰められたパレスチナの人が明確に反撃してくるまで、挑発しながら待っていた甲斐があったということになる。
ここまでお疲れ様でした!

さて、ここまでの流れを踏まえて本作を見てみる。
主人公はフランスに住むユダヤ人であり、彼女はあくまでもイスラエル側の視点でガザの景色を目撃する。
娘がガザ地区で幸せに暮らしていることを知り、直後に彼女が子どもと笑う学校も、心身を休める家も取り壊される場面に出会う。
政治の世界にいない市井の者に降りかかる、政治の決定による破壊を目の当たりにする。
イスラエルの若い人は、パレスチナという場所をめぐる歴史に関して、結構行き届いた「印象操作」をされている。だからこそ、子どもたちと遊び笑い、穏やかな顔で「ここで生きるのって幸せ」と言う、そこに何ら曇りがないのは自然なことである。
しかし本作、ちゃんとパレスチナの人々を一瞬とはいえ印象的に映している。
彼らに対し、主人公は何も言葉を発さない。遂には背中を向けて去っていく。

イスラエルの人がお邪魔しているガザ地区で幸せに生きる横で、フェンスで区切られた場所に「土地を奪われてきた側の人」が隔離されている。
「でも、イスラエル人だって辛いんだよね、たくさん涙も血も流してきたんだよね。」というのが、今世界的に採用されている視点であり、イスラエルが積極的に与えたい印象であり、本作はその視点でわかりやすく描いている。
住んでいる場所を追われるのは辛いよね、長く複雑な歴史の中で追われた側の人がすぐ隣にいるのだけど、彼らをフェンスで隔離して安眠していることについて、考える機会は持てないものか。
同じ痛みを持つ者として向き合うことは、もう不可能なのか。
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