この映画で重要なのは、舞台設定が1946年戦後すぐのローマであることです。
時代がいつか?がとても大事で、映画の冒頭いきなりベッドで目覚めた夫が妻、デリアをいきなりビンタをするところでびっくりしてしまいます。
夫はすぐに暴力をふるい、いばりくさり、舅の世話を押し付け、年頃の美しい長女とうるさくてかなわない2人の男の子がいる半地下に住む一家の物語です。
主人公は妻、デリアで監督もしているパオラ・コルレッテージ。
イタリアでは俳優だけでなく、コメディエンヌ、歌も上手くマルチな活動で、とても有名な人なのだそうです。
ダリアは夫につかえ、舅の世話をしながらも、たくさんの副業をして家計を助けている。
しかし、夫の暴力は絶えず身体は傷だらけ。
ただ、やられっぱなしか、というとそこは強く、したたかに生きている。
娘に結婚話が浮上するけれど、貧しいのにプライドだけは高い夫のせいで前途多難。
ただ、デリアは娘の婚約者が甘いマスクの優しい顔の下に暴君の姿があるのを見抜く瞬間があり、その後の行動が早い早い。
娘を自分と同じようにさせてはいけない、と裏で手を回すところなどさすがです。
この映画、意外な方向に行くのですが、でも、なんというか、夫や舅の描き方が「悪者」すぎてちょっと引いてしまいました。
実際、戦後すぐの混乱の時期、男性優位のイタリアでは当たり前のようにあったことだからこそ、本国イタリアで大ヒットしたのでしょう。
ジョージアの『ブラックバード、ブラックベリー、私は私』とよく似たフェミニスト映画であって、名作『自転車泥棒』と同じ時代を描いた映画とは少々、違うかもしれません。
暴君である夫は、日本でも向田邦子さんのエッセイに描かれた戦後すぐの日本の父親像とだぶりますが、とにかく自分の基準で暴力をふるう男は見ていられない。
ラスト爽快でもあるのですが、よくよく考えるとデリアの日々はあまり変わらない気はしますが、娘、マルチェッラの世代への期待をこめて、タイトルは「明日Domani」なのでしょう。
2025年3月16日
柏・キネマ旬報シアター
2人の男の子がいるけれど、この子たちも本当に憎たらしいんだよな。