わかりやすく泣かせようとしてくる映画は嫌いです😤なのでディスる気満々で行ったはずなのに気づいたら撃沈🥲中盤からは周りもグスグスの状況に。
“心臓病を患い余命10年の娘を救うために、医療関係でもなんでもない工場の社長が人工心臓を作ろうと奔走する”
ここだけみると、こういう映画は食傷気味…って感じなりかねないけれど、本作では「喪失による悲しみ」よりも「どんな時でも前へ。前に進もう」に比重が置かれた描き方であった点がかなり好感持って観てました。
悲しくて出る涙、ではなく、プラスの気持ちの涙だったんですよね、個人的には。そこがとっても良かった。クドカンドラマの「俺の家の話」の最終回に似た感覚。予告編何回も観させられてるので、どうせこういう系統だろうな、と先入観マシマシで来てたので想定外でした。あ、話そっちに進むんだ、と💡
「時代を動かして成し遂げられるのは、信じ続ける者」というのを地で行く主人公たち。
正直、開幕直後の大泉洋のいかにも演じてます感のある演技をみせられて、コレついていけないかも…と不安がよぎったけれど、段々と感情移入していき中盤からあまり気にならなくなってました。そこらへんを受け入れられないと中々厳しいかなと。
病室の隣のベッドの子がいなくなるシーン。
自分の娘も超低体重での出産でNICUに4ヶ月入院していたなぁと。保育器が並んでいているのだけど、隣の赤ちゃんの保育器が空になって数日経つと別な赤ちゃんが寝ている。いなくなった赤ちゃんはどうなったのだろう、元気に退院したのかどうなのかはわからない。考えないようにしていたのを思い出して胸がギュッとしました。
このシーンでよしみに「あの娘を助けて」と言われたことが、その後に続いていく。
松村北斗、上杉柊平、満島真之介、光石研は
盤石の布陣であったなぁと。三姉妹の子役ちゃんもよき。
劇中、足のアップが多いのも印象的(小学〜高校生への転換やモンゴルでのシーン等々)。月面着陸や人類の進歩といったワードから、「一歩を踏み出す」ことを視覚的にみせる意図かと。
ミセスの主題歌も言わずもがな。鑑賞後に聴くと思い出して🥺新しいドアを開けるの歌詞はこっちの話のことだったのね。
と色々ポジティブな感想書いたし結構気に入ってるのですが、気になった点も多々あり。
。↓↓ネタバレありです。
まず。この人はこういう人なんです!という設定(いい人、悪い人の二項対立の人物の描写)がステレオタイプすぎて。いや、物語上とってもわかりやすくできていているし。まぁ、そういうタイプの映画じゃないし、2時間でまとめないといけない、と言われたらそれまでなのですが。
あと最後の有村架純のエピソードは、ご都合すぎて冷めてしまいました。なんでこういう取ってつけたような蛇足を入れてしまうのか…(もしかしてこれも実話?なら、ごめんなさい)
エンドロールの最後。実話をベースにしたフィクションです(みたいな文言)で、ちょいモヤる。それが映画というものだし、その部分でとやかくいうのは野暮すぎるのは理解したうえで、やっぱり実際どこがどう改変なのかは気になる、というか興味が湧きました💡
追記。wikiからの抜粋では
“1968年に、プラスチック加工会社・東海高分子化学の筒井宣政夫妻の間に生まれた次女には、重度の先天性心疾患があった。手術費用として2千万円余りを用意したが、次女が9歳のときに手術は不可能であることを宣告された。筒井は用意した資金を研究機関へ寄付することを考えたが、東京女子医科大学の医師から人工心臓の研究を勧められ、1981年に東海メディカルプロダクツを設立。8億円の資金を投じて人工心臓の動物実験までこぎつけたが、多額の費用が掛かるため人工心臓の開発を断念。これに代わり、IABP(大動脈内バルーンポンピング)バルーンカテーテルの開発を始めた。当時の同カテーテルはすべて輸入に頼っており、日本人の体格に合わないため合併症が頻発していた。そこで身長と血管の長さ・太さに相関関係があると考え、その統計結果を元に日本人向けのS、M、Lの3サイズのIABPバルーンカテーテルの開発に成功、1989年12月に発売を開始した。次女は1991年に23歳で他界したが、日本人工臓器学会との共同により、次女の名を冠した研究助成制度「Yoshimi Memorial T.M.P. Grant」を1996年より開始した。”
とあるので映画も大枠は事実に基づいてるんですね。子を持つ親なら、何を投げ打ってでも助けたいという気持ちよくわかる🥲
ちゃんとよしみさんの名前が今も生き続けてるとこにも感動しました。