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インサイド・ヘッド2のRenのレビュー・感想・評価

インサイド・ヘッド2(2024年製作の映画)
5.0
完全無欠の映画だ。近年『ソウルフル・ワールド』も『私ときどきレッサーパンダ』も『マイ・エレメント』も文句なしの超絶大傑作だったのにイマイチ日本の世間に浸透しなかった事実に悶々としていた1ファンとして、これなら大衆にも届くぞと嬉しくなった。これが特大ヒットを記録する世界に少し希望が持てる、という意味でも。

絶賛ムードの前作に世評ほどハマれなかった自分も、流石に全肯定に寝返らざるを得ない。何より前作で感じた最大の疑問「感情たちの役割と性質のルールが微妙によく分からない(ex.ヨロコビが喜び以外の感情を抱いている?ライリーに喜びを与える仕事をしているだけで、ヨロコビ本人の感情は無関係なのか?)」がとんでもない形で氷解した。

「よほど語るべき物語がない限り続編は作らない」というピクサーの信念にこれほどマッチした続編は無い。感情を語る物語が、感情の多様化のイニシエーションとしての思春期・青年期を語り落としていい訳がないからだ。前作で既にこの複雑な世界観の説明はできているのでより複雑なこともできる、という利点もある。

感情たちが一人の人間を操る様子は、「人間」のカリカチュアとして優れてはいるけど、一方で人間がそんな単純な訳ないだろというツッコミもあって然るべきだと思う。そういう前作で残した課題に真正面からぶつかったのが今作だ。
自己PRを一言で纏めるよう指示されたり、血液型やMBTIで人間を4通り/16通りに区分けして「○○だから○○」と自分や他人を評してしまうラベリング主義に染まった現代に一石を投じたというだけでとんでもない価値を持つ。『インサイド・ヘッド』シリーズにしかできる訳がない。
子どもの頃から、自分の特技も強みも、自分がどんな人間なのかすら曖昧なまま大人になった自分は、「自分自身の自分らしさとは多様であっていい」と真正面から肯定してくれて泣いてしまった。あの頃の自分も今の自分も救われた。

喜びと悲しみにフォーカスを当て、「ネガティブな感情に意味はあるのか?」を問うた前作、テーマが明快で素晴らしいけど、他の3感情が描き込めていなかったので、それは作劇としてどうなの?と思った部分がある。でも今作は違う。多種多様な感情たちが助け合ったり足を引っ張ったりしながらマーブルのようにごちゃっとそこに存在していること自体が重要だからだ。

前段の「感情たちの役割と性質のルール」についても合点がいった。ヨロコビが喜びだけでできている筈がない、と鑑賞後なら納得できる。喜びを主とした人(ヨロコビ)、悲しみを主とした人(カナシミ)、それぞれが存在している。無限の感情を抱える感情たちが無限通りの協力の仕方をして仕事するなら人間の感情も無限通り存在して当たり前だ。

プロット面でばかり語ってしまったが、映像作品としてのエンタメの出力もそれなりに上がっている。少なくとも前作の2次元表現に続く遊び心はパワーアップした。『シュガー・ラッシュ』のような解像度差異ギャグはやっぱり楽しい。
ハズカシが大きくて(自分の羞恥心を隠そうとしても隠しきれないほど大きい様の比喩)、イイナーが小さくて、ダリィがスマホ依存症なキャラクターデザインも素晴らしい。
終盤のシンパイのとある挙動(完全にキャパシティを超えた者の辿る挙動の比喩)の表現と、終盤のライリーのリアルな息づかいには苦しくなってしまった。あるあるの精度と打率、それを可能にする表現力に隙がない。

「感情」というどこか抽象的で複雑で難しいものを単純化したことに意義があった前作からさらに、「やっぱり感情は抽象的で複雑で難しい」ことに往復して戻ってきた『インサイド・ヘッド』シリーズは、最初から今作ありきで企画されたものだったのでは?と思ってしまうほど素晴らしい完成度だった。この時代を懐かしむような年齢になるまで何度でも観たい。

その他、
○ 前作からの違いとして「ライリーの出てくる現実パートが大幅に増えた」ことも挙げられる。感情たちの脳内パートだけで異常な情報量があるのに、さらに現実まで拡張したら意味不明になりそうだが、やはりここはピクサー圧巻の情報整理力。これを観た小さな子どもも、いつか大きくなってライリーに感情を乗せることができるようになったらまたさらに楽しめるだろう。
○ 多部未華子 上手すぎ。
○ ムカムカ可愛すぎ。
○ 大人への変化の途中の自分(あなた)を肯定する、『私ときどきレッサーパンダ』に続く思春期映画の傑作。こちらも素晴らしいので観て。
○ 今年の各映画賞のアニメ部門は今作の総ナメになってしまうので少々面白みに欠けるかも....。
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