このレビューはネタバレを含みます
幕末、会津藩士・高坂新左衛門は、家老より直々に長州藩士・山形彦九郎を討つ密命を受け、同胞とともに京都にくる。しかし戦いの最中、落雷により現代の京都にある時代劇撮影所へタイムスリップしてしまう…。
親と見た「水戸黄門」に「大岡越前」、「遠山の金さん」に「暴れん方将軍」、そして「必殺シリーズ」と、昭和生まれの自分は子どもの頃から時代劇ファン。
ロングランに甘えて、本作はいずれ劇場で見るつもりだったが、早くも配信されたので自宅で鑑賞。
巷の評価が高すぎて「本当に面白いのか?」と疑っていたのだが、なるほどコレは面白い。
「侍が現代にタイムスリップ」という設定は80年代の藤岡弘主演「SFソードキル」を思い出す。
今でも「ちょんまげぷりん」や「サムライせんせい」など、かなり擦られた設定である。
きっと、過去と現代のギャップに驚く侍を笑いつつ後半は現代の悪を討つ…。
そんな話を想像していたのだが、当たらずとも遠からず。
時代劇にありがちな勧善懲悪の活劇は薄く、清く正しく真面目に生きようとする侍の姿に感動する。
SFコメディであると同時に、立派な「時代劇」の秀作である。
高坂がタイムスリップした撮影所でたまたま時代劇の撮影していた。
町娘が悪漢に襲われていると勘違いした高坂は主役に助太刀を申し出る。
お約束のように乱入を監督に怒られるのだが、頭や刀を叩かれても「無礼者!」などと激昂しない。
幕末の下級武士という設定もあるが、すんなりと自分の非を認める人の良さ。
もう、この時点で高坂のキャラクターが分かるのが巧い。
撮影所を彷徨き、怪談のお化け役の扮装に驚いて機材に頭をぶつけて倒れた高坂は、撮影助監督の山本優子に助けられ、入院する。
しかし目が覚めた高坂が病院の窓から目にしたのは、変わり果てた日本の街並。
現代の街へ飛び出した高坂は、街に貼ってあるイベントポスターで自分が幕末から140年後の日本に来てしまったと知る。
元の時代に戻る術も分からないまま彷徨い続け、見覚えのある寺の外で行き倒れた高坂は住職夫妻に助けられ、寺に居候することに。
助けてくれた人々に優しさに対して、非常に礼儀正しい高坂。
それでいて迷惑を掛けてはならないと、武士の誇りを見せようとする。
しかし「腹の虫」が鳴る。
掃除機やTVに大騒ぎで驚く。
前半は、人の良い侍と現代社会とのギャップが生む笑いは大変微笑ましい。
ある日、TVで時代劇を見た高坂は深く感動。
そんな折、寺で時代劇の撮影が行われることになり、高坂は急遽斬られ役の代理として出演することとなる。
斬られ役の演技を目の当たりにした高坂は、これこそ現代で自分に出来る唯一の仕事と思い立ち、斬られ役のプロ「剣心会」への入門を希望する。
優子は廃れゆく一方の時代劇に携わるのを止めるよう説得するが、高坂の熱意に負けて殺陣師関本を紹介。
高坂は試験を経て、剣心会へ入門が叶う。
斬られ役なのに思わず斬ってしまう関本との稽古は大爆笑。
やがて関本の指導と努力が実り、高坂は斬られ役として活躍の場を広げていく。
この件はまるで「蒲田行進曲」か「太秦トワイライト」。
大部屋俳優たちへの惜しみない賛歌だ。
本物の刀の扱いを知る高坂が、「本物らしさ」を出すために抜いた瞬間、刃先を下に下げる殺陣を見せるのが印象的。
そんなほんの一工夫がリアリティを生んで来たのだとコチラも気付かされる。
そしてタイムスリップした人間が、その時代に適応しようと努力する姿は、ある種の異文化交流のようでもあり、侍がマイノリティのようでもある。
この平和な時代に、誰も傷つけずに剣術という自分の能力を活かそうとする高坂に思わず「頑張れ!」と応援したくなる。
戦国時代にタイムスリップして、武将と共に天下を取ろうとする「戦国自衛隊」の逆だ。
そんな中、10年前に時代劇からの卒業を宣言したスター俳優・風見恭一郎を主演とする新作時代劇映画の制作が発表される。
撮影所所長から呼び出された高坂は、風見直々の指名により新作映画の準主役に抜擢されたことを告げられる。
身分不相応だと謙遜して辞退しようとする高坂に対し、風見は自身が高坂がタイムスリップ直前に暗殺しようとした長州藩士・山形彦九郎だと正体を明かす。
今から30年前の京都撮影所にタイムスリップした山形は、高坂同様斬られ役から俳優としての地位を築いていたのだ。
「本物の侍の姿」を二人で後世に残したいと語る風見に、かつての因縁から出演を固辞していた高坂であったが、周囲の想いを聞く中で最終的に受諾する。
やがて、撮影が進む中で、人を斬ったトラウマに怯え、時代劇を捨てた風見を励まし、高坂と風見は役柄同様に次第に心を許す仲になる。
しかし、脚本変更により故郷・会津藩の悲惨な末路を知った高坂は、演技に支障をきたしてしまう。
思いつめた高坂は、映画のクライマックスとなる高坂と風見の対決シーンで真剣を用いることを監督に提案する。
助監督の優子は強硬に反対するものの、風見が快諾し、高坂と風見が撮影関係者への免責を記した血判状を提出したことで、真剣使用の案は採用される。
撮影当日、高坂は風見に対し、殺陣ではなく仕合を申し込む。
なぜ、生命の危険があるというのに、真剣にこだわるのか?
過去に途中のままだった対決、尊皇攘夷派と佐幕派の因縁に決着をつけたいのか?
この平和な現代で、なぜ過去の信念にこだわるのか?と、ここは多くの人が疑問に思うかもしれない。
だが、少し考えれば、その気持ちは分からないではない。
自分たちが生命を賭して信念のために戦ってきた姿を残すには、偽物ではなく生命を賭けて真剣を使用しなくては表現ができないからだ。
同じ巡り合わせによって絆が生まれた高坂と風見は鼻からお互いを殺そうなどとは思ってはいない。
だが、真剣である以上、大怪我は覚悟の上だ。
「生命賭け」の「覚悟」、かの時代にあった侍の姿を残したいという想いは一つである。
「時代劇も侍の魂もいつか忘れられるだろう」、「だが、今日がその日ではない」というセリフに2人の心意気が溢れている。
打合せ通りではない立ち回りが始まったと撮影陣は気付くが、「止めるな!」と監督に厳命され、カメラの前で文字通りの真剣勝負が繰り広げられる。
「椿三十郎」の如く、達人同士の対決は一瞬か?と思わせる、しばし相手の出方を待つ睨み合いの後、通常の時代劇に見られる「華麗な立ち回り」とは無縁の泥臭いぶつかり合いは迫力の一言。
これまでの前振りも効いていて、当たれば大怪我は必至だとハラハラする。
凄まじい対決の果てに、遂に高坂は風見を斬り捨てる…のだが、それは公開された映画での嘘だと翻すのがニクい演出だ。
実際には高坂は風見を斬ることはできず、その場に泣き崩れ、撮影にカットがかかる。
凄みあるシーンが撮れたことに一同は喜ぶが、ただ一人、優子は激怒して高坂に平手打ちをくらわし、二度とこのようなことをしないようにと𠮟りつける。
高坂は優子に想いを告げようとするが、彼女は次の瞬間に完全に気持ちを切り替えて仕事に戻ってしまい、何も伝えられずに終わる。
「良いのか?」と問う風見に、「今日がその日ではない」と返す高坂。
生命を賭けた真剣勝負の後に、このまま(優子と)現実を生きようとする高坂の気持ちが感じられる微笑ましいエンディングだ。
エピローグに映画公開後も京都撮影所で斬られ役として撮影に励む高坂を捉えた後、人気のなくなった屋外セットに、高坂の同僚の会津藩士がタイムスリップしてきたところで映画は終わる。
少々蛇足にも感じられるが、コメディ(笑い)で締めくくるのは幸福感が高い。
残念なのは低予算ゆえ、大規模なロケは無く、特殊効果もショボく映像はB級。
劇伴も少なく、本来なら泣かせに掛かる感動的な曲や、戦いを盛り上げる効果も乏しいこと。
だが、面白い映画を撮ろうとする心意気はスタッフ・キャスト、役柄に至るまで超A級。
それがキャスト・スタッフの心意気とメタ的にシンクロしている。
日本人独自の道徳(武士道)を描いているのにも関わらず、混迷する時代の波に流されて廃れゆく時代劇への愛が、不足な演出を補って余りある。
テロップの「日本一の斬られ役」福本清三に捧げるという言葉も泣かせるではないか。
これは低予算、ほぼ無名のキャストが功を奏したリアリティとも言えるだろう。
喜劇に笑えて、人の世の人情の厚さに泣けて、信念を賭けて戦う姿に熱くなれる作品。
もう、本作の展開そのものが時代劇の展開そのものである。
本作が面白いと思う観客が多いならば、時代劇復興のチャンスはまだある。
混迷の時代だからこそ、普遍的な魂を持つ時代劇を今後も製作して欲しいと切に願う。