IMAXの爆音で観賞。この映画を配信ではなく劇場で観る意味は、音。2回ほどある場面で、爆音に飛び上がりそうになった。心臓の弱い方にはオススメできない。
観賞直後は、これが何の映画だったのかよく分からず、考えをまとめるのに時間が必要だった。
予告編で想像していたような映画とはかなり違った。戦争アクションとか、現代政治がどうアメリカ国内の内戦につながっていくかを描く作品ではない。映画はすでに内戦の終盤の状態から始まり、(兵士や市民や政治家ではなく)ジャーナリスト達の視点で描かれる、ロードムービーだった。
反政府勢力が、カリフォルニアとテキサスの連合軍ということで、「???」となる。現実の政治を直接描くつもりはまったくないということ。ここに敢えて非現実性を持ってくることで、メッセージを個別具体ではなく、一段抽象化しているのが上手い。どのようなイデオロギーの対立があり、どのような経緯で内戦が勃発したのかは、本作では一切描かれない。
ジャーナリストが個人として抱えるジレンマ。目の前で殺されそうな人、悪事を働いている人、傷ついて弱っている人。カメラを脇においてその状況に関与するのか、それともその状況にカメラを向けて切り取るのか。
自らの職人としてのプライドを守るためなのか、危険に対する恐怖を和らげるためなのか、彼らは危険な現場に臨むことをスリルを楽しむものであるかのように語る。たしかにある種のアドレナリンが出るような機会ではあるのだろうが、見たくないものを見ないように恐怖心にフタをしているようにも見える。
それが、実際に訪れた苛烈な恐怖体験とともに、フタが外れる。ジャーナリストである前に、人間であることに立ち返ってしまう。調子乗った後にやってくる最悪な展開って、本当に惨めな気持ちになるよな。。
ジェシー・プレモンスの出てくるあの場面の緊張感と恐怖が尋常じゃない。IMAXの大音量で聞く銃声に、本物の恐怖を感じた。「American? What kind of American are you?」って質問コワ過ぎだろ。このシーンこそ、IMAXで観た価値があった。プレモンスの強烈な演技もあり、このシーンに出演した役者たちはこの後しばらくかなりのショック状態に陥ったようだ。しかしこの人、主演のキルスティン・ダンストの夫なんだけど、この夫婦は一体どうなってるんだ。自分が妻なら、家では赤いサングラス禁止にするわ。
劇中でキルスティンが、海外の戦地で写真を撮るのは自国(アメリカ)の人たちに、「こんなことをしてはいけない」と伝えるため(だったが、その目的は叶わなかった)だと語る場面がある。これがそのままこの映画の意図そのものを代弁していたと思う。海外の戦争で分からないなら、国内の、お前たちが暮らしている街で見せてやるよ、と言っているのか。アメリカ本土が戦場になった映画は、SF映画を除くと、かなりレアな気がする。
監督のアレックス・ガーランドは、父親が新聞社に務める風刺漫画家だったため、幼い頃からジャーナリストたちに囲まれて育ったようだ。そうしたバックグラウンドが、明らかに本作に強く影響を与えている。
本作は全編通じて、リアルに演出される一方で、どこか常に客観的で突き放したような冷たさも感じる。厳しい戦闘シーンの直後にやたらとヌケの良いBGMを使ったり。このあたりも、ジャーナリストとしての、第三者目線が意識されているように見えた。
自国と他国、イデオロギーとイデオロギー、政治家と国民、という二項対立的な関係に対して、第三者たるジャーナリストが果たせる役割はまだあるのか。あらためてその存在意義を考えさせられた。
ところで、キルスティン・ダンストの相棒役を演じたワグナー・モウラってどこかで見た顔だなーと思ったら、「ナルコス」のパブロ・エスコバルだった!!スッキリ。