4人のジャーナリストがD.C.に向かうというロードムービーの様式をとっているのがとても功を奏していると思う。行く先々で起こること。様々な場所の風景。場所によって纏っている空気とか緊迫度とかに違いはあれど、異様な光景であるのはどこも同じ。
四者のバランス(設定)も見事。とりわけ、名声あるカメラマンだというキルスティン・ダンストの好演がvery印象深い。新参者のケイリー・スピーニーが横にいることで、キルスティン・ダンストってもうおばさんだったのね感が充満する。これまで幾多の危機を生き延び、スクープをものにし、でももう大義なんてどっかにいっちゃってるし、自問自答して葛藤する日々なんて過去にとうに捨ててきたし、この仕事の空虚さもわかってるし…だけどここからは降りられない、飢えも渇望も空洞も抱えている。そんな人物を、体全体で表現していたと思う。おそらくは無謀な若い子にかつての自分を重ねたのかもしれない。などといったことは、台詞ではいっさい語られないけど、そんな風に想像してしまう。彼女が草むらに横になったときに咲いている淡い紫色の野花とか、そういう風景も心にしみた。
ジェシー(ケイリー・スピーニー)のなかに潜む獣性が覚醒していって、それが暴れ出してどうにもとまらない感じも巧く表現されていたと思う。
「勃起」というワードがいっかい出てきた。でもそれを口に出さずとも、戦闘中の人々は(西部勢力であろうと政府軍であろうと)戦っている最中は、皆コーフンしているのだと思う。さらに言うなら、死のギリギリまで行っているジャーナリストだって(性別問わず)勃起しているのではなかろうか(でもキルスティン・ダンストは勃起していないはず)。 だから、戦争はやめられないのだと思った。たとえ相手が降伏したとしても、そこで“はい、終了!”にはならない。勃起したナニをすっきりさせるところまでは完遂しなくては。伴走する記者も同じく。(注:今作に性的行為の描写は一切ありません。わたしが勝手にひとつのワードから妄想をふくらませただけにすぎませんっ)
“西部勢力” 対 “政府軍” アメリカでの内戦という設定だけど、おそろしいのはこれがとてもリアルに感じられること。アメリカで起きてもおかしくないことのような気がしてくるし、今げんざい中東で起こっていることのようにも感じられる。でも観ながら集中しているわたしに対して絶妙なところで狙いすましたように、音楽がかかったり夫婦共演があったりして、「あなた あまり入れ込んじゃだめですよ、これは映画ですよ!エンタメなんですよ!」と言われているようでもあり、これはいったいどうゆうこと?監督の姿勢は容赦ないということなのでしょうか。(監督はイギリスの方なんですね。そうなのかー)
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・キルスティン・ダンストがジェシー(ケイリー・スピーニー)に対して、サミー(スティーヴン・ヘンダーソン)について2~3言で語る。その台詞もとても良かった