(2024.97)[22]
大統領による権利を超越した独裁の結果、大統領率いる軍と独立した州の連合軍による内戦が勃発した近未来のアメリカ。敗北間近とされる大統領に取材するため、カメラマンのリー(キルスティン・ダンスト)と記者のジョエル(ワグネル・モウラ)は、成り行きで着いてくることになったリーの師匠サミー(スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン)とリーを慕う新人カメラマンのジェシー(ケイリー・スピーニー)と共に戦闘の中心地であるワシントンD.C.に向かう……というお話。
何故大統領がそのような暴挙に至ったのか?独立した州はどのように結束することが出来たのか?といった世界観の背景は殆ど語られず、あくまでそういう風になっているという前提条件としての設定のみに終始しているのが潔くて良かった。監督のアレックス・ガーランドはイギリス人だし、アメリカの政治を深いところから斬るようなものではなく、外から見たアメリカの崩壊を寓話的に描いた作品という意味合いが強いのかも。
主人公たちは記者であり銃を手に取ることはないが、弾が鼻を掠めそうな最前線でカメラを構える様はまるで戦闘に参加しているかのような緊迫感で、カメラのシャッター音がどんどん武器の音のようにすら聞こえてくる。思えば“撃つ”も“撮る”もどちらも“shot”だし、何か根底で通じるものがあるのかもしれない。
戦争でカメラを構えるということは、現地にいながら客観的な姿勢を取らざるを得ないということでもあり、目の前で死にゆく人がいたとしても感情を抑えて冷静にシャッターを下ろすことになる。ベテランであるリーはそのジレンマからか半ばPTSDのようになっており、思うように仕事が出来ない状態に陥っている。そこで現れた新人のジェシーはカメラの仕事に希望を抱くピチピチの新人という感じで、そんな彼女に仕事を継承していく様が一つの話の軸となっている。
一見、戦場カメラマンを主人公としてその仕事を描く話のようにも思えるんだけど、映画としてはあくまで中立的な立場をとっており、例えば序盤で民衆が飲料水を求めて暴動を起こしているすぐ後の場面では取材陣が高級ホテルで優雅にお酒を嗜んでいる姿が描かれたりと、安易に良いものとして描こうとしないという姿勢が強く感じられる。明らかに映画としての立ち位置的にはリベラル側なんだけど、そういう人たちが思う「正しさ」みたいなものへの懐疑的な目線も持ち合わせているように思えた。
その場にそぐわないクリスマスの飾り付けが残ったままの場所での銃撃戦や、大いに話題になった“赤サングラスの男”との遭遇など、印象深いエピソードも多いが、何となく用意されたイベントを消化しているだけのような展開の固さを感じるところもあった。
件の赤グラサンのシーンも、あからさまにそのためだけに合流する登場人物がいてちょっと不自然に感じてしまった。演じるジェシー・プレモンスの独特な佇まいも相まって恐ろしい場面なのは間違いないが、この展開を見せるのであればその合流する人たちも事前に物語に絡んできてくれた方がよりインパクトが増したし流れとしても自然なのになと思った。
政治的に難しい話であり、変に偏らないように冷静に物事を見ている感じがしてそれはそれで良いんだけど、一方でその冷静さが映画としての熱量を失わせてしまっているようにも思えて、個人的にはもう一歩という印象。ビジュアルやお話などは良いのに心の底からはハマれない感じ、ガーランド監督の他の作品にも同じようなことを思ったので単純に相性の問題なのかも。