リセットするつもりがない人生というのは、なんなんだろう?気がつけば確かに俺はリセットボタンを押すのは嫌いだった。
逆に常にプラットホームに立ち、リセットする覚悟を携え、0を0として受け入れることを常日頃している彼女たちとは、なんなのだろうか。(現実の彼女たちはよく旅に出るでしょう。馬鹿みたいだなと常々思うのだけれど)
社会性と常に共にある感覚、政治の動きと彼らは常にあるが、市井の目線(意図的なカメラ)はただ、平等に優しく辛く厳しいものである。(現実性)、それは社会のことであり客観したときの自らのことだと思う。もはやそういった個人的なことでもないのだろうけど。
彼の見ていた夢が物事(映画)の起こりの全てなのだとしても、あれはただの希望とも言えるだろう、彼には昼間に眠れる時間があるのだ。
時代が移っていくことで変わらないことがある、人間の中身だ。多分あの映画のカタルシスはそこにある。ヒトは簡単に変われない。その恐ろしさともどかしさと、悲哀は彼に託されることになる。当時にしてはモダンですらない、捻れば火の点くガスを当たり前に使うことになるのだ。