『推しの子』のアニメ版はノー・チェックだがドラマ版8話は全て観た。観た上で批評するが、あえて前半の57分の齋藤飛鳥パートが必要だったかは甚だ疑問である。劇場版を見るような観客は既に7時間弱のドラマ版を大方チェックしているはずであり、それをわざわざ別の編集点で編集したとしてもやはり総集編の様な映像にしかならない。我々観客が真に観たいのはドラマ版の9話目であり、どのようにアクア(櫻井海音)が真犯人に辿り着くかなのだが、映画はその約半分をB小町のアイ(齋藤飛鳥)とその双子の子供たちの物語をおさらいする為、かなり停滞する。中盤、アクアが登場した時点では既に1時間が経過しており、そのことが人間ドラマの部分を安っぽいものにした面は否めない。また今作のラノベ的な展開は、母殺しの物語に並走するように異世界転生ものを物語に組み込むため、ドラマ版を観ていた上で観ても、カタルシスは渋滞する。
煮るなり焼くなり好きにしなくても、既にドラマ版の6話目で犯人の正体は割れているはずではないか。だとすれば犯人がいかにしてアクアとルビー(齊藤なぎさ)の前に出てくるのかが大切だと思うが、相変わらずアイの真実と嘘の二重性にばかり固執しようとすることで焦点がぼやけた。この前半1時間の説明過多な総集編的演出のせいで、物語の一番のカタルシスである父子の場面はあるにしても、ドラマ版でたっぷりと時間を割いた有馬かな(原菜乃華)や黒川あかね(茅島みずき)とアクアとのデリケートな相関関係を思いっきり端折るのが物足りない。あのちゃんを含めて新生B小町はもっと物語の中心に躍り出てきて良いはずだ。だがかなもあかねも鏑木勝也(要潤)や斉藤壱護(吉田鋼太郎)よりも出番が少ない。そして一番の悪手はアクアとルビーの兄妹の絆と並行して、異世界転生ものの真実が炙り出されること。率直に言ってこちらの挿話の方が意外性ありで、主人公アクアとルビー側のカタルシスが微妙に削がれてしまった。脚本の立て付けと、前半の齋藤飛鳥に力点を置き過ぎた辺りが全体のバランスを著しく悪くした印象だ。