完成度の高い映画だと思う。
正直、シチュエーション的に感情移入できないし、気持ち悪いとも思う。
2007年に新垣結衣が舘ひろしと入れ替わるドラマがあったが、それに似ていて、若い女性の中身が年寄りというのは、時間の流れの不可逆性に恨みつらみを抱えたお年寄りだけの願望にしてもらいたい。
にもかかわらず、完成度が高いと感じるのは、楽曲による演出やストーリーの展開からだろうか。
主題歌の竹内まりやが印象的なのは言うまでもないが、劇中の音楽は宇崎竜童が担当している。
宇崎竜童といえば、高倉健の『駅station』でも見事だった。
ストーリーも、ラストでアッと言わせる展開は稀に見る名シーンである。
しかし、
少し文句を言わせてもらうと、
小林薫とその奥さん、娘が死んだのに、あまりショックじゃなさそうでしたね?
普通に考えると、子を亡くした夫婦と言うのは、悲嘆に暮れるものでは無いだろうか。
だが、この夫婦、事故直後から、何か浮かれた気分でいる。もちろん、多少は娘の死にショックを受けている描写もあるが、足らないのではないか。
やはり、中年女性が若い肉体を手に入れてしまったという事実は、娘の死なんてなんのその、吹き飛んでしまうのかもしれない。
見かけこそ若き日の広末涼子だが、中身は皮のたるみきった中年女性かと考えると、正直、気持ちが悪い。ホラーと言ってしまっても過言ではない。
浮かれトンチキのヨットに耽る姿には失笑を禁じ得ない。下着姿のサービスショットにも何の高まりも感じることは出来なかった。
ところで、竹内まりやの『天使のため息』の歌詞だが、
「もう少し、そばにいて、私を守って」
この部分だけど、
「私」って誰??
娘のはずもないので、普通に考えたら、妻のことだろうけど、何か変だなぁと。
遠くへ旅立ってしまった人に対して、本当ならもう会えないけど、もう少しそばにいてよ、という意味合いだと思うけど、
そう解釈するなら、
「私」は小林薫になってしまうなぁ、と。
でも、こんな解釈も出来てしまうだろうと思えるのは、
この映画の中で描かれている小林薫さん、
ナヨナヨした女みたいな男だからなんだよね。
妻にもう少しそばにいて欲しいと嘆いているのは、この男のほうだ。
一方、妻のほうは、奔放な性を持て余している。
若返った肉体が精神を支配し、完全に自制心を失ってしまったようだ。
もちろん、お二人さんは娘の肉体を通じて性交渉を出来ないという複雑な事情を有しているのは理解できるけど、でも、そこは10代の性ではなく、40代の性なので、本来であれば、もう少し自制心をきかせてくれても良いはずだ。
しかし、女は欲望を抑えられなかった(笑)
ついつい感動なストーリーと捉えてしまいがちなのだが、そうではなく、
若さは肉欲を抑えられない、といった下品なお話なのである。
広末涼子「なんだか最近、お肉が食べたくて仕方ないのよね〜」
ある日の晩御飯の際の何気ない一言もこの伏線なのだろうか。
P.S.
1999年の夏、この映画が、メディアを通して派手な宣伝をしていたのを思い出す。
私事だが、その夏、父を亡くし、「あの世」というものについて、よく考えていた。
この文脈において『リング』、『らせん』や『死国』を持ち出すのは罰当たり的なことかもしれないが、
生と死の境界線が曖昧になっていたような年であった。
「世紀末」という状況、ノストラダムスの予言、など、この世の終わりを思わせるような、振り返るとそんな印象の年だ。