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消せない火(燃え尽きない火焔)
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『消せない火(燃え尽きない火焔)』に投稿された感想・評価

すえ
4.8
記録

【戦争と映像@国立国際美術館】

ファロッキが無表情に自らの肉体に押し付ける煙草の先端。それは400度前後の熱であることが告げられ、更にナパーム弾は約3000度で燃えるとナレーションが加わる。
ここでナパーム弾そのものの映像によってその効果を説明する、もしくは「ナパーム弾は約3000度で燃える」というナレーション(言語)だけで観客にその恐ろしさを深くイメージさせることは不可能だろう。なぜなら我々は3000度という果てしない熱を経験したことがなく、映像イメージは我々の肉体から切り離されて知覚されてしまうからだ。経験不可能な熱さと身体から隔絶されたイメージを統合するのがファロッキの身体──つまり燻るタバコの痕跡、腕の黒点──なのである。映像の400度の熱は音声によって3000度の灼熱を喚起させる。

反復と差異によって微妙に意味合いを変化させるイメージは、映像それ自体が操作可能性を孕んでおり真実は隠蔽されるという態度ととれる。それらの反復は構築された映像(メディア)に対する疑惑を惹起させるものでもあり、さらに無限に拡散する反復の未来(いつでも誰でも起こりうる)を想像させる。終盤の労働者、学生、技術者の一人芝居のように、映像のなかにおいては誰もが身分や物語を操作可能であり、そうして提示される現実は括弧付きの「真実」でしかない。

視覚イメージが音声(言語)によって強化される最たる例ではないだろうか。視覚と聴覚の両イメージが観客の内部で統合され、更なるイメージを生成する。それは形而上学的な内なる変動であるが、確かにそれは当人にによって知覚される。ファロッキを観なければ、新たなイメージのために。

時間が無くてあとはヒト・シュタイエル『November』だけ観て帰ったがこちらも良かった。

2026,48本目(劇場40本目)3/15 国立国際美術館
4.2
冒頭に映像、思考の限界を提示した上で、妙な生々しさを持つ冷徹なカット、そこから想起せられる視、聴による操作
学生時代に最も影響受けた映画の一つ。ファロッキ自身がカメラの前に立ち、ベトナムで使用されたナパーム弾の威力についての調書を読み上げ、「ナパームの火傷について見せようとすれば皆さんは目を瞑るだろう。映像を前にして目を瞑るだろう。そしてそれについての記憶から目を瞑るだろう」と語った上で「我々はナパームの作用についてほんのわずかなイメージを示すことしかできない」として燃えたタバコを自身の腕に焼き付けつつ、悶絶するでもなく、それまでの同録を全て消し去るようにナレーションで「タバコは約400度で燃える。ナパームは約3000度で燃える」と重ねられる時、映像と音声の操作が生み出す沈黙と饒舌を同時に見出さずにはいられない。
テレビシリーズなど、すべてのファロッキの作品を見れているわけではないが、ファロッキは映像が決して真実を語り得ないことを初期作の段階から徹底して思考する作家であり、今作の最後で一人の男が労働者、学生、技術者を演じ分けるブレヒト的な反復描写を提示するのもその最たる例であるのは言うまでもない。むしろ映像は情報のレベルとして認識した上でテキストの即物性を堂々と画面に紛れ込ませる作家だが、あらゆるイメージが可視化される21世紀において、寧ろイメージが意味を持たなくなっている現在進行形の問題に対して、亡きファロッキが示したテキスト、つまりは言語の力を再認識させる喚起力として映像と音を用いるという思想は今こそ認識されるべきかという気がしてならない。