砂場

ルックバックの砂場のレビュー・感想・評価

ルックバック(2024年製作の映画)
4.7
原作は公開後に幾つかの批判を受け、単行本化で一部を修正した。あの時はXなどでも結構な騒動だった。批判の中で影響力の強かったのは、斎藤環による『「意思疎通できない殺人鬼」はどこにいるのか?』だろう。精神科医の斎藤さんは自他ともに認める漫画含めたサブカルファンであり、もちろんこの批判は漫画を読めないおっさんによるものではなく、きっちり読み込んだ上で専門の精神科医の立場での批判である。

僕はどちらかというと、発表時のオリジナルについては衝撃を受けたものの、気持ちの持って行き方がなかった記憶がある。それは明かに京アニ事件について想起させたからだ。2019年の事件後2年ほど経っていた時期なので藤本タツキとしても感情が条件反射したわけではなく、じっくり考え抜いた上での作品化だったのだろう。ただ僕が気持ちの持って行き方がなかったのが、犯人への怒りが僕自身と同期したからだ。あの事件について怒りの感情を持たない人はいないだろう。僕の知る限り表現者が表現としてあの事件を真っ直ぐに描いたのはこの作品が最初だったと思う

僕自身の感情とあまりにシンクロしたために原作発表時は冷静にこの作品を評価できなかった。まず持って驚いたのはこんなにも表現者は怒っていたのか、、、ということ。だからこの原作は全方位にバランスをとったものではなく、怒りの感情のむき出しの表出だったと思う。だから斎藤環の専門家としての立場はまず原作に対し改変の配慮をいうべきではなかった、専門家として表現者がここまで怒っていることをその怒りのまま受容することだったのではないか。差別意識とかポリコレ文脈ではなく、表現者をも一人の相談に来た患者としてその言葉を受容する必要があったのではと思う。もちろん受容したのちにある種の診断を行うことは職務としても重要だろう、ただそれは表現の改変を要求することではなかったように思う。スティグマのステレオタイプ化はそうだとしても、そのステレオタイプな認知を引き起こすこと自体を一旦受容する必要があったのではないか。来談者=藤本タツキの認識を”正しい方向”に修正することは専門家として”正しい方向”だったのだろうかという疑問は残った。

そして、2024年現在。この映画化作品であるが発表時のオリジナルに戻っていた点は評価したい。この作品はポリコレ文脈ではなく表現者の怒りのむき出しの表出だからだ。本作は裁判でもないし、専門誌へのレビューでもないのだ。本作は感情のドキュメンタリーなのである

この作品が素晴らしいのは、京アニの件を知らなくても十分に理解できる点である。”ありえて欲しかった未来”について、扉をゲートとして現実世界と接続する。これは上手いと思う。「ワンハリ」も良かったのだが、「シャロンテート事件」のことを観客は知っている必要があった。

田んぼの畦道を走る場面、原作の一枚絵ほどではないがアニメーションで見事に描かれていた。

本作は、漫画原作のアニメ化の是非云々ということではなく、京アニのことを考えれば”アニメ化”されるべき作品だったのだと思う。アニメ化によって魂の鎮魂が完了されたのだ。それだけに設定をオリジナルに戻した点は評価したい。
僕としても原作公開時には気持ちがわさわさしてきちんと向き合えなかったのが、この映画で気持ちが落ち着けた。

昔、寺山修司発案で「あしたのジョー」の力石徹の葬儀が実際に行われたという。本作の京本の葬儀も行われるかもしれない。

改めてあの事件の犠牲者及び京本の魂にご冥福をお祈りしたい。
砂場

砂場