ライトを当てないので最初は誰だか分らなかった江口のりこの夫役が小泉孝太郎であると分かると、この男の弟がもしやして内閣総理大臣になるかもしれないのだと頭をよぎった。トランプだとかハリスだとか習近平だとかプーチンだとかと膝詰めで談判なんてできるんだろうか。あ、サディスティックな親父の、ぶっ壊すを完成させるのか!いやいやあの男にそんな勇ましいことができるんだろうか、このふざけた兄貴の弟だぞ、と思わせるほどにろくでなしの男を小泉孝太郎が見事に演じていた。
誰と行ったの?
出張帰りの夫真守/小泉孝太郎との他愛のない会話の中に、桃子/江口のりこはそんな言葉を紛れ込ませる。まるっとお見通しなのよ、したたかな感じだ。この台詞に、背中をヒヤッとさせた小泉孝太郎がどれだけ沢山いたことだろうか。8年間の夫婦生活。いまや妻が求めても夫はそそられることもなく背中を向けるだけ。少しは情けをかけてやれよと思わないわけでもないけれど、実は、真守には27歳の豊満な肢体を持つ愛人奈央/馬場ふみかがいて、ということで、/会って欲しい人がいる。/何よそれ。/こどもが出来た。/知らないわよ、そっちで何とかしてよ!/
桃子が頻繁に開いているブログがその女奈央のものだと思っていた。夫のことは何でも分かっている、この女だろう、多分、そんな風にネチネチとした話なのかと思っていた。同じ敷地に真守の母親照子/風吹ジュンの住む母屋があり、照子がまた一人息子真守を溺愛していて、桃子に鋭くジャブを入れたりして、そんなネチネチをこのブログ女に向けているのかも、とそう思っていたのだけれど、この頻繁に開かれるブログの謎は終盤に明らかにされる。
日常など突然崩れるものなのだ。死が突然訪れるのと同じように。何もかもやり残して人は死んでいく。残された者が大量の物事を棄てる役割を担う。死んだ者以外にはそんな物事は邪魔なゴミでしかない。桃子の日常もあっという間に崩れ去った。日々に通うゴミ集積所が放火される。自身が読み捨てられる雑誌のように扱われて初めてその恐怖が実感される。ゴミを棄てているのが本当のわたしなのか、棄てられているモノがわたしなのか、分からなくなる。迷い猫が桃子の家の軒下で餌を求める。ぴぃちゃんなの?果たしてぴぃちゃんという猫は桃子のもとにいたのだろうか。その猫の存在を真守も照子も肯定していない。軒下で餌を求める迷い猫に打ち棄てられた自分を重ね合わせた『ティファニーで朝食を』のホリー/オードリー・ヘプバーンを思う。
交渉したのだろうか。照子は桃子に離れを譲ると言っていたけれど壊されているのは離れの方だ。桃子にとってはもはや無用の長物だ、とでもいうように。
床下埋められた空缶。その中に畳まれてあるベビー服。このシーンは、畳を上げ、チェーンソーを買いに走るところからもはや謎。何が何だかよく分からない。幻を愛したの?