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Sleep With Your Eyes Open(英題)
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『Sleep With Your Eyes Open(英題)』に投稿された感想・評価

[ブラジル、"翻訳している相手のことを本当に理解してる?"] 90点

大傑作。Nele Wohlatz単独長編二作目。前作『The Future Perfect』は、ブエノスアイレスに移住した少女がスペイン語を学んでいく過程を捉えることで、新たな言葉とともに新たな概念を獲得し、未来を切り開いていくという、温かで希望的なツールとしての"言語"を中心に描かれた作品だった。本作品は前作の続きのような視点で、"言語"の別の側面も描き出している。また、前作における"頑なに中国文化を守る両親"に相当する人々の視点が深堀りされ、かつ"言語"以外の要素でも"変化"を描いているため、より立体的な作品となっている。物語は恋人にフラれ、台湾から独りでブラジルはレシフェまで観光しに来たカイの目線から語られる。彼女は日常会話レベルなら数カ国語話せるようだ。そんな彼女はビーチで翻訳者の男と出会い、こう尋ねる。"翻訳している相手のことを本当に理解していると信じているか?"と。続く物語では徹底して言語による隔たりを描いている。そもそもポルトガル語の字幕を黄色、それ以外の言語を白色としたのに、ほとんどポルトガル語が使用されないのも(ほぼ現地人の識別に使われている)、その証拠の一つだろう。カイは中国人移民の傘屋店主フアンと知り合い、彼が持っていた絵葉書からシャオシンという女性の物語を紐解いていく。シャオシンは叔母に呼ばれてブエノスアイレスからレシフェへ来た。叔母の部下たち同士は中国語で話していて、ポルトガル語を話す必要性どころか理解する必要性すらあまりない。売り物すら中国産であり、なぜか高級マンションの高層階に従業員全員で住んでいるため、ブラジルにいながら何重もの膜によってブラジルとの繋がりが断たれているような環境にある(傘や浮き輪の失敗はこの"遠さ"に起因しているだろう)。そんな中でシャオシンは、自分にしか読めない言語としてスペイン語を用いて、売れ残った絵葉書に自分の物語を書き綴っていく。それはまるで、言語がもたらす強烈な孤独を可視化するかのようでもあった。

カイとシャオシンの物語を繋ぐフアンの存在も忘れがたい。作中で"中国人はなんら問題ない状況でも突然いなくなる"と評されている中で一番の古株として、ずっとレシフェに暮らしている(彼が突然いなくなって物語が動き始めるのも良い)。彼は変化について口にすることが多い。ブラジル人の匂いが苦手という同僚に、自分の匂いが変わっただろうか?変わったとして帰国したら元に戻るんだろうか?と尋ねるなど、自分が決定的に変わってしまうことに怯えているようにも見える。彼はよく"中国は変化が速いがレシフェは遅い"とボヤいていたが、シャオシンと叔母のエピソードに"新しいビルが建っても同じに見える"という会話があり、フアンが変化に気付けていないだけなんだろうと予想される。旅行先の土地には極力馴染みたいとするカイ、"どの街も全部同じに見えた"と語る超絶ドライな観察者で根無し草の幽霊のようなシャオシンとは対局にいる人物として描かれている。また、"アジア人"に向けられた眼差しを同じ尺度で可視化していくのも興味深い。カイは日本語で挨拶されるし、美術館では陶磁器を指して"君の国のものだ"と言われるし、シャオシンもカイも現地人からは別人と勘違いされている。シャオシンは上記の"私にはどの街も全部同じに見えた"という言葉に続けて"彼らも私たちが同じに見えるだろう"と書いていた。

前作にはあまり見られなかった要素として対比が挙げられ、ブラジルと中国、都市と田舎など様々な対比が登場するが、中でも印象的なのは高低差を活かした衝撃的な二つの"落下"シーンだろう。一つ目はカーニバルに浮かれるプールサイドで、高層マンションの上からスイカが降ってくるのだ。もう明らかに人間の頭としか思えない破裂っぷりに驚く。あれは誰の魂だったのだろうか。二つ目は上層階に住む実業家が家宅捜索中に紙幣を窓からバラ撒くシーン。直前に給料未払の話をしていたシャオシンとフアンは窓から風に流されながら落下する紙幣を眺めている。なんと残酷なシーンだろう。上層階では蚊がいなかったという発言から、マンション周りでは高低差が明白に意識されている一方で、カメラはほとんどチルトせずに平面的に世界を捉え続けるのも興味深い。
3.5
【言葉の杖を振る】
2024年11月7日(木)ー17日(日)より福岡市総合図書館で開催されるAsian Film Joint 2024にて上映される『目は開けたままで』を観た。これが不思議な映画であった。

台湾からブラジルへやってきた女性が絵葉書を受け取る。そこにはアルゼンチンからブラジルへやってきた中国人女性がスペイン語で書かれた日記が記されており、彼女はそれに感化されていく。

本作は極めて文学的な作品であり、言語と言語との間でどうしても生まれてしまう溝へ眼差しを向けていく内容となっている。興味深いのは、ブラジルの話にもかかわらず形成される中華街的な場によって、文化の分断が強調されており、ブラジル人から見ると台湾人も中国人も「アジア人」として捉えられてしまっているような感覚を視覚的に落とし込もうとしている点にある。ここで重要となってくるのはブエノスアイレスからレシフェへやってきた中国人だろう。彼女は中国語でもポルトガル語でもない、そこでは自分しか分からないスペイン語でもって自分の心理を捉えようとする。人は時として孤独に内省したくなる。誰にも知られたくない、でも知らない誰かに届いてほしいかもといった矛盾が日記へと向かわせていく。それが主人公の孤独と共鳴する。この繊細さに惹きこまれるものがある。

もちろん、映画としてのショットもユニークだ。本作は落下を軸としたアクションが特徴的となっている。たとえば、プールでの小さな飛び込み(=落下)があった後に、プールサイドに西瓜が落下し、破裂する。危うく死者が出ただろう。間一髪で避けるところに映画的なショットを感じた。