このレビューはネタバレを含みます
江戸時代、人気作家の滝沢馬琴は友人の浮世絵師・葛飾北斎に構想中の物語を語り始める。それは里見家にかけられた呪いを解くため、運命に引き寄せられた8人の剣士たちの戦いを描く物語「八犬伝」だった。北斎を瞬く間に魅了したその物語は巷でも大人気になるのだが…。
日本のファンタジー小説の原点として知られる「里見八犬伝」の誕生にこんな秘話があったとは。
これは、「八犬伝」というよりも、「馬琴伝」というべきではないか…?
「里見八犬伝」の若き8人の犬士たちの戦いをダイナミックなVFXで描く“虚”のパートと、作家・滝沢馬琴の創作の真髄、そこで生まれた奇跡の実話を描いた“実”パートが交錯して描かれる。
大長編の「里見八犬伝」を隈なく読んだ訳ではないが、ポイントを押さえたダイジェストの“虚”のパートに「日本にはこんな面白いエンタメ小説が、遥か昔に存在していたのか?」と改めて驚かされる。
戦乱の世で立場が違い、初めは敵対するものの、剣士や力持ちなど多彩な勇者がパーティーを組んで魔物を倒すなんて、どこか「ロード・オブ・ザ・リング」的。
だが、里見八犬伝は指輪物語よりも100年以上前から存在するのだと思うと誇らしくなる。
しかし、“虚”のパートを上回る面白さがあるのは、馬琴の“実”パート。
どちらにおいても脚色はなされているだろうが、クリエイターの産みの苦しみを描いた歴史モノの秀作と言えるだろう。
冒頭から滝沢馬琴と葛飾北斎のやりとりが面白い。
片や馬琴はクソ真面目な堅物、片や北斎は飄々とした偏屈者。
絵画の中の己の世界観にこだわりの強い北斎が「面白い」と馬琴の語る物語を褒めれば、馬琴も場面を描いた挿絵の草稿に「なんでこんなに描けるのだ?」と感服する。
アプローチは違えど、仕事となればお互いプロであることに誇りを持ち、お互いの作品を賞賛し合い、認め合う仲だ。
里見八犬伝を作るうえで、まるで共犯関係のような友情が面白い。
反面、彼らの現実は上手くいっていない。
馬琴はどんなに偉くとも初見の相手には会わないとポリシーを貫きすぎて、息子・宗伯のツテを袖にしたり、家業と家事の全てを妻のお百に任せっきりで執筆に没頭。
たまには構ってほしいお百の気持ちなど全く気づかず事あるごとに説教されて頭が上がらない。
北斎も孫が可愛いと言いつつ、仕事の邪魔だと息子夫婦とは別居。
出戻りの娘を弟子と言いつつ、こき使う。
それでも自分ではなく、息子に八犬伝の挿絵を描かせると仕事を譲る分、馬琴よりはいくらか融通が効く程度。
どちらも自分のロマンを優先して追求し、家庭を顧みないワガママさ。
まさに「男のロマンは女の不満」である。
だが、大衆は虚を求めていると馬琴は信じている。
とかく現実はままならない。
正義ではなく、悪が勝つこともある。
だから勧善懲悪の八犬伝を書くことで「世に悪は栄えない。正しい者が勝つ」のだと馬琴は訴えたい。
現実がそういう世の中であってほしい…と。
自分の創作物が世に広まり、人々に勇気を与え、世の中を変えてゆくのだ!
モチベーションは非常に素晴らしい。
純粋な上、真っ直ぐな行動力だ。
中盤、その純粋な想いが揺らぐ。
馬琴と北斎が評判の高い東海道四谷怪談の舞台を見に行く件だ。
鑑賞後に鶴屋南北と会った馬琴は、史実(実)である勧善懲悪の忠臣蔵に、怨みつらみで夫の伊右衛門を殺すお岩の話(虚)をねじ込んだことに腹を立てる。
馬琴は悪が勝つ物語は世に悪影響だと言い、南北は他人の振り見て我が振り直す「必要悪」だと言う。
まるで性善説と性悪説の哲学的論争のようだ。
清濁飲み込んだ上で、解釈と判断をするのが人間なのだが、悪にも人間の本性を見た馬琴はショックを受ける。
なんと純粋なことか。
しかし、この四谷階段との出会いが伊右衛門のような扇谷定正など、欲深い八犬伝の悪役に深みを与えたかと思うと興味深い。
やがて、里見八犬伝の執筆作業は馬琴のライフワークとなるが、連載開始から長い年月が経ち、物語もクライマックスに差し掛かった頃、医者となった馬琴の息子の宗伯が肺結核に罹っていることが判明。
同時に馬琴自身も白内障によって右目を失明。
宗伯の病は重く、とうとうその命は途絶えてしまう。
息子を失った辛さの上、馬琴自身も両目を失明。
里見八犬伝の完成はもはや不可能に思われたが…。
それから2年後、70歳を超えた馬琴の語る「里見八犬伝」を、亡き宗伯の妻であり馬琴にとっては嫁にあたるお路が口述筆記で完成させたいと申し出る。
夫の宗伯の八犬伝を完成させたい願いを受け継ぐ心意気が健気である。
漢字を知らず、またちゃんと里見八犬伝をそれまで読んだことのないお路だったが、馬琴に漢字を教わり、口伝に聞く勇壮な八犬士の物語を文字にしていく。
「南総里見八犬伝」は遂に28年をかけて完成。
お路が口述筆記で書き始めてからはわずか8ヶ月で完成したこと、漢字を知らない路は馬琴から教わりながら筆記を続けて馬琴に劣らぬ筆致になったこと、これらは日本文学最大の奇跡となった…。
まさに虚と実が入り乱れ、長い執筆期間も相まって伝奇モノのような壮大なスケールの物語。
巧い脚本だなと思ったら、しっかりと原作があった。
山田風太郎の小説「八犬伝 上・下」を、「ピンポン」や「鋼の錬金術師」シリーズなど原作ありきの作品を手掛けてきた曽利文彦監督が、役所広司主演で実写映画化したエンタメ大作だ。
ビジュアルを原作に寄せなくてはならない、漫画原作作品よりも自由な発想と描写を感じ取ることが出来る。
今後もこの路線を邦画界には期待したい。
劇中、歳をとって、ひがみっぽくなった老妻お百が夫の馬琴と嫁のお路の執筆で相手にされず、孤独なうちに死んでいくのは、不憫で可哀想なのが難点。
しかし、それがまるで一つのことを極めるための犠牲になったようで現実の厳しさを物語る要因の一つになっている。
馬琴が戦いの犠牲になって死んだ犬士を最後に甦らせるのは、宗伯やお百への罪滅ぼしのように見えてきて泣ける。
また、虚の世界の里見八犬伝を若手俳優陣がアクションで熱演を見せ、実の世界をベテラン俳優が中心となってキャラクターの内面を演じることで、静と動の対比がなされている演出も巧い。
まるで勧善懲悪が世の常であってほしいという馬琴の純粋な願いを、若い世代(未来の我々)が受け継いでいくような構成。
また、実のパートが普遍的な道徳性を考えさせるとともに、虚のパートがVFXを取り入れた剣戟アクションで創作物の自由な発想を表現。
「どちらか一方を描ききれ」「二兎を追う者は一兎をも得ず」という評も見受けられるが、本作をきっかけに若い層の時代劇への関心が高まると嬉しい。
劇中、「里見八犬伝」の愛読者である渡辺崋山が「虚を描き続けることで、その作家が生きることは実となる」と言うが、クリエイターの産みの苦しみを感じさせると同時に、時代劇の面白さを再認識する作品である。