カラン

幕末太陽傳のカランのレビュー・感想・評価

幕末太陽傳(1957年製作の映画)
4.5
問題 : 勇気とかエネルギーとかを与えてくれる映画を一本挙げてください。

うーむ。こういう質問は難しいのだが、この『幕末太陽傳』でしたら、いかがでありんすか?



☆どんな元気をくれるか?

①喋りまくる

ひたすら喋りまくり、正直なところ、「わっちは・・・よしとくれ・・・ありんす・・・あい、あい〜」しか聞きとれないが、不思議と惹きつけられる。


②小走り、男は背を丸めて、女はしなをつくるように

男たちは、侍がふんぞりかえっているのをのぞけば、手を袖に入れて胸の前に出してちょこちょこ小走りする。女郎たちは、日本髪にくしを刺して(フェリーニの『8.5』に出てくる、カタツムリみたいだねと茶化される女優の髪型の出どころはまさか、これなのだろうか?)身体を左右に振り、紐やら帯やら着物の裾やらを、魚を引き寄せるルアーのように揺らしながら、遊郭の廊下をせわしなく小走りする背中が何度も映る。なんと愛すべき背中だろう。


③罪や怖れが後退した世界

石原裕次郎が出てくるが、彼がそのカリスマであっただろう太陽族なる集団は彼の兄、石原慎太郎の小説に端を発する。海辺でぷらぷらし、社会通念を無視した行動をする若者たちである太陽族の「太陽」が、この『幕末太陽傳』の太陽に関係しているのは分かるが、この映画の世界観はそんな程度の話につきるものでもないと思われる。とにかく、罪とか、恐れとか、痛みとか、何であれ尾を引くような深刻なものが一切なく、フェリーニが『8.5』のラストで辿り着いた《大宴会》の世界そのままのにぎやかさ。居残り佐平次の咳だけが、全編通して不吉な予感を漂わせるが、気にするのはやめよう。

「地獄も極楽もあるものか、おいらはまだまだ生きるんでい」


☆ジャケ写

中央の可愛い人はおそめさん役の左幸子さん。こはるさん(南田洋子さん)と戦います。


☆冒頭のナレーション

「東海道線の下り列車が品川駅を出るとすぐ八ツ山の陸橋の下を通過する。この陸橋の上を通っているのが、京浜工業地帯を縦走する最大の自動車道路、京浜国道である。京浜国道にやや並行して横たわる狭苦しい街、これが東海道五拾三次、第一番目の親宿、品川宿の現在の姿。この至って特色のない街でやや目立つものと言えば、北品川カフェー街と呼ばれる十六軒の特飲店、従業の接客九十一名、平均年齢三十四歳。しかしこの赤線地帯も売春防止法の煽りをくって1ヶ年以内の閉鎖を余儀なくされており、三十余年の歴史を持つ品川遊郭も、ここに一応その幕を下ろすことになるのだが、これからこの映画が語ろうとするのは、現代の品川、ないしは売春問題の推移などではなく、文久二年末の品川である。文久二年と言えば、あと六年で明治になろう年である。幕末いよいよ喧騒、北の吉原と並び称された南の品川も、ようやく衰えを見せ始め、とはいえ、そこはやはり、東海道の親宿、百軒に近い遊女屋に、千人以上の女がけんを競い、それ相応の賑わいをみせていた。」
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