阪本嘉一好子

200 Meters(原題)の阪本嘉一好子のレビュー・感想・評価

200 Meters(原題)(2020年製作の映画)
4.7
この映画を見始めると、『200メートル』の意味がすぐに理解できるようになっている。夫がイスラエル在住許可書を取らず、パレスチナ側(ウェスト・バンクのタルカム(Tulkam)に住んでいて、在住許可書を持っている妻と子供三人に会うのもチェックポイント(かなり重要な混んでいるチェックポイント)を超えて二時間かけて回っていかなければイスラエル側に在住している家族に会いに行けない。パレスチナ側にある夫、ムスタファ(アリ・スリマン)の自宅から、妻と子供たちが住む自宅(イスラエル側)までたった200メートルの最短距離を渡れないという領土問題(ユダヤ国建設後の)がある。時代はイスラエルのネタニヤフが首相で、米国はトランプのようだが、両国関係は短いセグメントで、重要では...........

実は個人的に忙しく、趣味の映画鑑賞も一ヶ月ぐらい怠っている。久しぶりに見た映画は七不思議に入るようなこの作品。ムスタファの考えていることが、途中で薄気味悪くなり、結構キツくなってきた。なぜかというと、ムスタファの政治思想、信念で、イスラエルに住む許可書を取らない?子供三人もいて、自分を譲らないと家庭が破壊するよと思った。案の定、息子はハイファにあるユダヤ人のサマーキャンプ(息子はMaccabi Haifa F.C.が好きなようで、そこでサッカーをしたいらしい)でいじめられるし、交通事故で病院に入院する。ムスタファは通行書が期限切れで、正式に検問が通れず、潜りで息子の入院している病院まで行くというストーリー。

イスラムの世界にある、男女差別意識(差別という言葉は幅広い意味を持つ言葉であるが、ここで適当でないかもしれないがあえて使う)が丸出しで、人間の、特にこの社会の深層構造にある差別意識のようで、なかなか気づかれないような、人々が気にしていないような意識。これが私の心にずっしり疲れをもたらす。それは、たとえば、モスクでの祈りは男女別々であるような、モスリム社会で問題意識なしに行われているようなことが私に違和感を与える。これは私が教えているモスりムの生徒にも感じる。「宗教の自由」「お互いを尊敬」する立場から、『cultural insensitive』にも注意を払うが、私の心の中は穏やかじゃあない。

この映画の場合、家族の中の問題は家族で解決をすればいいかもしれないが、社会で、この場合はドイツからのフィルム撮影をしている女性アンネが『撮影するな』と言われながらも、それが、発端で、乗客者が死に直面するシーン。このシーンでトランクの中で男三人で苦しみにあい、それを乗り越えたよろこびを感激し合い、分かち合っている。There is no God , but God とアンネの男友達、キファー(Kifah)はこの時にこそ神を信じたようだ。このドイツからの女性、アンネの困難に、「大丈夫か」だけで、ムスタファは「やめろというのに、撮影したから、我々は殺されていたかも」とどなる始末。キファー(Kifah)は彼女だって殺されたかもしれなかったと、彼女の見方で発言する。彼女は後で謝るのが理解できなかった。なぜかというと、困難にあったのは全員なのだから。しかし、ムスタファは許したともはっきり言わない。

違和感が拭えないのは主人公、ムスタファの思考。ムスタファが『最初の車が捕まったということがなぜわかる』と聞くシーンで、アンネは『身動きでわかった』と。このことについて、ちょっと違和感があるし、ムスタファのツッコミが気になるし、どんな過去を持っている人なんだろうかも気になって、不可解な映画って叫びたくなった。

イスラエル、ユダヤ兵のハラスメント、チェックポイント越えの不条理や危険さ、パレスチナ人の小心者そうに見える諍い(低い壁の一部を自分たちのものだと主張する),ユダヤ人の入植者(パレスチナ人を追い出して、ユダヤの土地にする)がパレスチナに立てたイスラエル国旗....サッカー好きな人々が多い....イスラエルに不法侵入しようとしている乗客が新たに乗り込むが、その中にはアンネをイスラエルのMOSSADだと疑うものも出てくる...........これらがストーリーの中に混在していて、この映画のポイントがわからなくなる。

この中で、興味深いのは、ムスタファの『confession』という言葉なのである。懺悔をすると言ってアナネに促すと言おうか、カマをかけているようだ。『父親はイスラエルからだと知っている』とアンネに。アンネは何も言わないが、ムスタファの言葉を否定しようともしない。しかし、ムスタファはこの迂回する旅の中でアナネがドイツ系ユダヤ人だと見抜いている。幅広い経験のありそうなムスタファだ。またもや納得がいかないのは、ここでアンネがムスタファになぜ、英語が上手なのか聞くシーンがある。これにムスタファの答えはアンネにとっても、私にとっても答えにならない。パレスチナ人との会話の中でもパレスチナ人がわからない英語言葉(Missed Call)を使い、何だと聞かれる。ウエストバンクから、どこに出た経験があるんだろう?イスラエル側? それとも、アメリカ(ムスタファの英語のアクセントはアメリカ英語にちかい)。

最後は「アンネがヘブライ語を話せなかったら、チェックポイントは抜けられなかった」とムスタファはキファーに叫ぶ。キファーはアンネの父親がパレスチナ人だと偽りを言い続けていたが、イスラエル人だとわかった時の怒りは抑えることができなかった。好きだったからよけいに。

なぜ?何がムスタファを意固地にさせた?家族を犠牲にしても自分の信念を変えないのはなぜ? 家族はどうする? イスラエル在住権をとってもパレスチチナ人なんだよ。

私の不可解さは監督からみい出せると思い、監督が誰か気になりだしたので、調べてみた。アミーン監督の短いメッセージを聞いて、答えがでた。私の不可解さは取り越し苦労で、彼のメッセージはシンプルであるが、人権問題に関わってくる重要なポイントが含まれていると。今も尚且つ続く、ネタニヤフ政権の横暴の中ウエストバンクにはこのような犠牲者もいるはずだ。ウエストバンクのタルカム(Tulkam-イスラエルとの壁)出身のの30代のアミーン・ナイフィー監督で、これがデビュー作品なんだ。最後のシーンで、監督はタルカム(Tulkam)にあるイスラエルとウエストバンクとの間にある壁を続けて映す。監督はヨルダンで映画を学んでいる。個人的なストーリーで、自分の経験談だそうだ。彼の言葉を要約すると、『祖父母、叔父叔母、従兄弟、と別れて、イスラエルに住むことは心身に良くなかった。でも、サッカー、水泳、自転車など初めてそこで習った。なぜ、祖父母と一緒に朝食を取れないのか?それに、この不条理に挑戦したいから、この映画を作った。シンプルな人権問題だ。それに、家族は一緒にいるための自由がある』