さすらいの用心棒

鰯雲のさすらいの用心棒のレビュー・感想・評価

鰯雲(1958年製作の映画)
3.6
農地改革と民法改正の波及を受けたある農家の日常を描く群像劇。

黒澤明、小林正樹、岡本喜八、野村芳太郎、今井正などの名監督たちに数々の禍々しい悲劇を書いてきた脚本家・橋本忍が、まさか成瀬巳喜男にも書いていたとは。かくも異なる分野の二人がどんな物語を紡ぐのか、気になって拝見したが、やはり映画は監督のものになるらしく、しっかり成瀬巳喜男の映画になっていた。
リアルな女性を描いてきた成瀬巳喜男だが、芯の強い淡島千景以外はほぼ小津安二郎のキャラクターのようで、杉村春子と中村鴈治郎がお互いに酌をしているシーンなどは『浮草』を彷彿とさせる。
ただ、小津安二郎のような見やすさはない。とても複雑な家族構成に加えて、キャスティングと年齢設定がまったく合っていないために見ていて非常に混乱する。しかも、関係性をセリフだけで説明しようとするので、集中して冒頭に臨まないとのちの展開がわかりづらい。かつ、10人以上の群像劇で、それぞれがおのおのの行動をしているために全体を把握しづらく、混乱のあまりに眠くなってしまう(笑)
全体的な敗因は、やはり脚本にあるのかも知れない。戦前から続いていた家制度の崩壊によって喪われたものと生まれたものを描きたかったのかも知れないが、大群像劇は脚本界の巨匠・橋本忍でも手に余ったようだ。そもそも体制や運命に抗えない人々の悲劇を描く橋本忍の作風と、ホームドラマが合わなかったのだろう。
ただ、男女の心境を襖の開閉で表現した演出には舌を巻いたし、終バスを逃した時の淡島千景の表情の移ろいなどに成瀬映画の真髄を見たような気がした。
旧制度とともに没落してゆく中村鴈治郎の悲劇は『生きものの記録』のようだし、厳しい日常のなかにようやく見出した恋という光をふたたび手放してしまい、また日常に戻ってゆく女性の悲劇は『張込み』とまったく同じで、橋本忍の良いとこどりをした要素も個々としてはよかった。
水野久美がめちゃくちゃ可愛かった。