レインウォッチャー

蜘蛛女のキスのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

蜘蛛女のキス(1985年製作の映画)
4.0
原作小説は中村明日美子の漫画のように線が細い画風のイメージを胸に読んでいたので、映画におけるモリーナ/ヴァレンティンいずれもかなり「MANLY」なルックに少しチューニングの時間を要した。

映画はほとんどのシーンが同じ房でのふたりの会話劇で占められる。固定された舞台装置の上で、徐々に変化していくふたりの言語内/外の距離感・駆け引きが見どころだ。となれば演技ファーストムービーになるところだがそれだけでなく、無骨で不衛生にみえる冷たい牢の中で、モリーナが自分のテリトリーに広げる色鮮やかな布地たちだったり、外から運んでくる贅沢な食事やお菓子(ボンボン)だったりが視覚的にもアクセントをつけ、彼(彼女)の女性性を際立たせてはっとさせられる。それこそ沼地に立つフラミンゴのように、ビビッドで官能的だ。
特に夜のシーンが良い。部屋が暗くなるにつれ(闇がほんとうに深い)、漂うアニマ(男性の中に潜む女性)の勢力が強くなるのが見て取れる。堅物で威勢の良いように見えたバレンティンが、少しずつ陥落していくのもやはり夜のできごとなのだ。

ふたりの出逢いを悲劇にしたのは時代のせいで、もっと少し違う場所・違うときだったら…と誰もが終盤には思わずにいられないだろうけれど、この場所・このときだったからこそ彼らは特別になり、その一夜の時点でどちらも実は既に救われていた、ともいえる。愛は愛であるだけで尊いということのかな、なんて考えさせられる。
それを踏まえると、終盤(モリーナが出所してから)を描写するのはむしろ蛇足にも見える。直前のふたりの言葉・表情で、観ている我々もすべてわかるからだ。もちろんそこのドラマを見せておかないとアメリカ映画的にあんまり、というところなのだろうけれど、モノローグくらいで終わらせても余韻が残ってよかったんじゃあないかな。

またもうひとつ惜しむらくは、言語が英語だったことかも。このふたりの会話に、英語の響きはあまりに明るすぎた。モリーナが語る劇中劇の描写シーンも、フランス映画といっているのに英語だったりして。。当時アカデミー賞とるには譲れなかった、とかあるのかもしれないですけれどね。